日産自動車は15日、2027年度末に国内主力の追浜工場(神奈川県横須賀市)での車両生産を終了すると発表した。日産のイバン・エスピノーサ社長は記者会見で、子会社の日産車体湘南工場(同県平塚市)も26年度までに車両の生産を終了する方針を明らかにした。一方で「国内ではこれ以上の車両生産拠点の削減や統合は行わない」と述べたことから、栃木工場(栃木県上三川町)は存続する見通しとなった。

 「(生産終了は)なぜ栃木工場ではなく、追浜工場なのか」。15日の記者会見でそう問われたエスピノーサ社長は「生産態勢の柔軟性を維持したいと思った」などと述べ、商品の需要や財務面も考慮したと答えた。

 追浜工場の従業員は27年度末まで同工場での勤務を続ける。その後の雇用や勤務は方針が決まり次第、知らせるとしている。主力の電気自動車(EV)「リーフ」の生産機能を移した栃木工場で人員の受け入れがあるかどうか、5月に一部で報じられた栃木工場の一部売却が行われないかどうかも今後の焦点となる。

 日産の工場閉鎖は01年の村山工場(東京都武蔵村山市)以来となる。当時は1千人の従業員らが栃木工場に移り、生産車種が一気に拡大。地元の上三川町の人口が増えるなどの変化があった。下野新聞記事から当時を振り返る。

 (以下、見出しの後の日付は紙面掲載日。市町村名など、記事の表現は原則として当時のまま)

■日産 栃木工場に1000人配転 村山工場から来年3月めど 3車種の生産移管(2000年1月14日)

 日産自動車は13日、再建計画「リバイバルプラン」で事実上の閉鎖を打ち出した村山工場(東京・武蔵村山市)の従業員約2900人のうち、1千人程度を来年3月までに栃木工場(上三川町)に配置転換させる計画案を明らかにした。配転は、「スカイライン」「ローレル」「ステージア」の生産を同月までに村山工場から栃木工場に移管することに伴う措置。

 村山工場閉鎖による当面の配転対象者数は、車両組み立てを行う約2千人だが、現在の聞き取り調査で約800人が配転先打診に対し意見を保留している。日産は今年3月までに最終的な意向を確認し、配転計画をまとめたい考え。栃木工場以外の配転先は追浜工場(神奈川県横須賀市)が中心となるとみられる。

 栃木工場は最高級車「プレジデント」などを生産。稼働率が46%程度に低下しているが、3車種(年間計10万台強)を新たに生産することで90%弱に高まる見通し。

 

■日産村山工場38年の歴史に幕/栃木工場に870人(2001年3月29日)

 日産自動車は29日、村山工場(東京都武蔵村山市)での車両の組み立てをやめ、1962年10月以来38年の歴史を持つ同工場での自動車生産に幕を下ろす。これまでの累計生産台数は968万2千台に上る。