
軌道は、人の流れやまちの姿を変える力がある-。中尾さんは体現者だ。
常務を6月に退いた後、同市下平出町のLRT車両基地で下野新聞の取材に応じた。
2023年8月26日に開業したLRT。これまでに900万人超を運んでいる黄色と黒の車両に目を細めながら言った。「ゆいの杜(もり)の停留場は、ベビーカーを押すママさん方がカフェに行くのに使うんですよ」

車両とホームがバリアフリーで、ベビーカーを乗降させてもストレスがない。ダイヤは最大10分間隔で待ち時間はわずか。高校生が停留場から約4キロ先の学校まで自転車で通い、雨の日に中学生が通学に使う。
「乗客が路面電車を育ててくれる。市民の皆さんが『おらがまちのLRTだ』と自慢に思ってくれている証拠」と声を弾ませ、路面電車を心から愛する素顔がのぞいた。深い知識、豊かな経験から「路面電車の神様」と呼ばれている。
◇ ◇
70歳で本県に移るまでのほとんどを過ごしたのが出身地の広島市だ。80年前、生後9カ月の時に被爆した。姉幸子(さちこ)さんを亡くし、家族の悲哀を感じながら、生を永らえた。
「幸子に会いに行ってくるね」。生前の母千代子(ちよこ)さんが毎年8月6日早朝、原爆犠牲者の慰霊祭に出かけていく姿を覚えている。
生まれ育った戸坂村(現広島市東区)は爆心地の市中心部から約4キロ。それでも自宅の障子やガラスが吹き飛んだ。祖母におんぶされていた。「倒れてきた段ばしごに間一髪、当たらず済んだ」と後に聞かされた。
女学校2年だった姉は、勤労奉仕で市中心部にいた。家族が捜し、背中を焼かれた状態の姉を見つけ、家に連れ帰った。
「水を飲ませたら死ぬ」。そう聞きつけた家族は、「喉が渇いた。水が欲しい」と繰り返す姉に水を与えなかった。被爆4日後、亡くなった。井戸の水を飲んだ者は生き延びた。
「誤った判断で幸子を死なせてしまった」。そう言って何年たっても涙を流した母。一瞬にして家族と安寧を奪った原爆は、中尾さんの心に影を落とした。
◇ ◇
大学卒業後、市内で路面電車を運行する国内大手の軌道事業者、広島電鉄(広電)に職を得た。
入社後、広電の路面電車は、原爆の「喪失」から人々が立ち上がる象徴の一つだったことを知る。
原爆投下から3日で約1キロだったが運行を再開した。「広電が動くのか」と人々は驚き、家族を捜す人や市内から脱出する人でごった返した。
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