県内アマチュアゴルフの最高峰、県知事盃争奪ゴルフ競技大会は今年、誕生から60年の節目を迎えた。紙面では4月から連載「銀盃に刻む足跡 知事盃ゴルフ60年」を執筆中で、改めてその歴史の重さを痛感している。

 産声を上げたのは1966(昭和41)年。当時、県内には那須GC、唐沢GC、小山GCなど10コースほどしかなかった。腕を競う大会となると各ゴルフ場の月例競技会ぐらい。

 「うちのチャンピオンは強いぞ」

 「いや、いや」

 「それなら真のチャンピオンを決める大会をやろうではないか」

 …というのが、そもそものきっかけだった。各クラブの意地の張り合いだった。設立に関わったメンバーで健在なのは富田昇吾(とみたしょうご)だけ。当時は若手だったが、85歳になる。60年の年月を重ね「こんなに長く続く大会になるとは思わなかった」と驚く。

 

第3回大会優勝の中村彰志のバンカーショット=1968年、日光CC
第3回大会優勝の中村彰志のバンカーショット=1968年、日光CC

 第1回大会は9ゴルフ場での予選から決勝(2日間で75人)までで607人が出場。決勝では初日1打差2位の大平広(おおひらひろし)(唐沢CC)が2位に5打差をつける逆転で初代王座に就いた。予選開始から2カ月半で決勝開催と、現在と比べると短い期間だったにもかかわらず大変盛り上がったという。

 あれから60年。多くのチャンピオンが生まれた。中嶋常幸(なかじまつねゆき)をはじめ、羽川豊(はがわゆたか)、松村道央(まつむらみちお)、藤田(ふじた)さいきなど、多くの有名プロも輩出した。日本アマを制しプロの道を選択した阿部裕樹(あべひろき)、小林伸太郎(こばやししんたろう)も挑戦した。日本シニアを制した舘英樹(たちひでき)も王者に輝き、日本を代表するアマとなった亀井隆(かめいたかし)も挑戦した。そして今や、県内のゴルフ場は100を超え、大会も7部門で4千人以上が腕を競うまでに成長した。

 最多優勝者は4度の富田。第13回大会(1978年)で4度目を達成して47年が経過するが、いまだに破られていない。多くの王者が生まれた中で「ミスター知事盃」と評される理由だ。最多の4勝ばかりでない。史上初の連覇、2位は4度、3位は2度と、60~70年代に築いた栄光の歴史は今も輝き続けている。

 

第4回大会優勝の星堯のパッティング=1969年、日光CC
第4回大会優勝の星堯のパッティング=1969年、日光CC

 数々の名勝負も生まれた。第44回大会(2009年)一般男子の部。3度目を狙う半田裕一(はんだゆういち)(宇都宮)と東北福祉大の秋本久成(あきもとひさなり)(宇都宮)のプレーオフ(PO)。土俵際まで追い詰められた半田が驚異の粘りで秋本をうっちゃった。第53回大会(18年)一般男子の部の5人によるPOも記憶に新しい。

 一般男子の最年少優勝者は第54回大会(19年)の覇者、松枝靖悟(まつえだやすのり)(下野)。佐野日大高1年生、16歳2カ月でチャンピオンとなった。一般女子の部の最年少優勝者は第46回大会(11年)の臼井麗香(うすいれいか)(鹿沼・北押原中1年)の12歳10カ月。第45回大会(10年)の越雲(こしくも)みなみ(矢板中2年)の14歳3カ月を抜いた。

各部門優勝者に贈られる直径21センチの銀盃
各部門優勝者に贈られる直径21センチの銀盃

 中嶋プロが「60年続いている大会は珍しい。民間ゴルフトーナメントの草分け的存在でもある中日クラウンでも65年。これからも大事に守ってほしい」とエールを送ってくれた。9月からは各部門の決勝大会がスタートする。記念すべき第60回大会を制するのは誰か。興味が尽きない。