2005年に下野新聞紙面で連載した「戦後60年 とちぎ産業史」。第2次世界大戦後、栃木県内の産業や企業はどんな盛衰のドラマを繰り広げたのか-。今年は戦後80年。関係者の証言などを収めた20年前の記事を通して、あらためて戦後の歩みを振り返ります(9月7日まで毎日配信予定)。記事一覧はこちら。
【戦後60年 とちぎ産業史】自動車(下)
ホンダの夢が二つ、本県に産み落とされた。
「NSXは、独自の技術を盛り込んだ新世代の商品であり、ホンダの夢の一つです」
一九九〇年八月、川本信彦社長は、高根沢工場の落成式でこう述べた。
社史や関係者によると、この工場は、ホンダを象徴するスポーツカーNSXを造るための専用工場として建設された。
七九年のテストコース、八二年の本田技術研究所栃木研究所に次ぐ施設で、同じ時期、生産設備の開発を担うホンダエンジニアリング栃木技術センターも開設された。
NSXは強力なエンジンを載せるために軽量化が求められ、ボディーの素材として採用されたのがアルミだった。
「アルミの車は世界初。生産技術でも、何が難しいのか想像できない世界だった」
鉄の三倍の電流が必要となる専用溶接機の開発に携わったホンダエンジニアリングの中里敏雄氏(51)は語る。
高根沢工場の当時の従業員は約二百三十人。NSXの価格は約八百万円だったが、同年九月の発売時から注文殺到。一時は受注残一万台を抱え、中古車は二倍の値がついた。
だが一年後、注文のキャンセルに見舞われた。
バブルの崩壊で景気に陰りが見え始めていた。
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