先の大戦から80年の節目となる終戦の日が巡ってきた。敗戦に打ちひしがれつつも灰じんと化した焦土から立ち上がり、戦後の平和と繁栄を導いた先人に感謝し、改めて不戦を誓う日である。
戦争を直接知る人は減り続け、わが国の人口比は戦後生まれが9割に迫る。幸いなことにこの80年間、直接戦争に巻き込まれることはなかった。
だが、現在も世界の各地で戦争・紛争は絶えない。わが国が経験した悲惨な戦争の記憶の風化を食い止めることは、世界の平和とどこかでつながることと信じたい。記憶の継承に、より一層力を入れるべきである。
県内の足元はおぼつかない。620人超の市民らが無差別に殺された宇都宮空襲の記憶を継承し平和を訴える市民団体「ピースうつのみや」は、会員の高齢化と後継者不足を理由に先日、活動40年の歴史に幕を下ろした。県内の被爆者らで構成していた県原爆被害者協議会は、解散してから既に7年がたつ。
下野新聞社の調べによると、戦没者遺族が県内市町や地区単位で組織する遺族会は、過去10年間で2割弱減少して117団体となった。会員の高齢化や後継者不足で解散や休会が相次いでいる。塩谷町ではなくなった。
宇都宮市の栃木県護国神社は、県遺族連合会の事務局も兼ねている。稲寿久(いなとしひさ)宮司(68)は28歳の時に初めて慰霊巡拝で海外にたった。それ以来、毎年のように神職の装束と祭壇を携え、戦没者遺族と共に海を渡る。サイパン、ニューギニア、フィリピン、パラオなど、旧日本軍の激戦地を巡っては、戦没者の霊に少しでも近づきたいと願う遺族に寄り添ってきた。
その遺族も高齢化し、終戦の日に毎年同神社で行われる戦没者追悼平和祈願祭の参列者は、年々少なくなる。稲宮司は「それでも戦争の記憶を風化させないことが、私の仕事」と語り、戦没者の孫・ひ孫世代との交流に力を注ぐ。
本来、宗教施設は「地域の歴史記憶センター」としての役割も持っているはずだ。県内の全ての宗教施設に呼びかけたい。平和を追求する人々のよりどころとして、先細りする戦争の記憶を継承する活動に、力を貸してほしい。
行政に付属する博物館や、大学など高等教育機関の役割も、この機会に問い直したい。戦後80年の節目だけでなく、息の長い平和運動への助力が求められる。戦争の記憶をつなぐ営みを、後退させてはならない。
戦争はいつも、正義の旗が掲げられる。ロシアのプーチン大統領は「ナチス勢力の排除」を建前にウクライナを戦場にした。ミサイルの着弾に逃げ惑う人々の嘆きに、耳を貸さない。
イスラエルは「ハマスの排除」を掲げ、ガザに侵攻した。破壊され尽くした街並みや、飢えに苦しみ痩せ細ったパレスチナの子どもたちの映像は、もはや「虐殺」としか思えない。
日本もかつて、対外膨張を「正義」と信じて道を踏み外した。過去への真摯(しんし)な反省を忘れてはならない。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」との格言もある。戦争の歴史を正しく学んでこそ、80年続いた「戦後」をさらに延ばすことにつながるだろう。