男子ゴルフ国内ツアーの最高峰トーナメント、第90回日本オープンゴルフ選手権が10月16日、日光CCで開幕するまでいよいよ2カ月を切った。国内で最も権威ある大会として知られ、県内開催は2003年に第68回大会が同じ日光CCで開催されて以来、22年ぶり2度目。90回目の節目の大会でゴルファー日本一の称号を手にするのは誰か、興味は尽きない。

第90回日本オープンゴルフ選手権の舞台となる日光CC
第90回日本オープンゴルフ選手権の舞台となる日光CC

 第1回大会は戦前の1927(昭和2)年に開催された。優勝者はアマチュアの赤星六郎(あかぼしろくろう)だった。42~49年は戦争の影響で中止。歴代優勝者は文化功労者の青木功(あおきいさお)、「ジャンボ」こと尾崎将司(おざきまさし)、両者と「AON」の一時代を築いた中嶋常幸(なかじまつねゆき)など、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。

 県内初開催の第68回大会を覚えているだろうか。優勝したのは35歳の深掘圭一郎(ふかぼりけいいちろう)だった。5打差5位でスタートした最終日に9バーディー、2ボギーで7アンダー64。大逆転劇だった。とりわけ「神懸かり的なパットが数多く入った」と14メートル、10メートルを次々と沈めた。この時、ベストアマに輝いたのは千葉学芸高3年の池田勇太(いけだゆうた)だった。

日光CCの名物ホール「松の廊下」と称される11番パー4
日光CCの名物ホール「松の廊下」と称される11番パー4

 実はこのメジャー大会で本県勢が3人、計4度の優勝を飾っている。高林村(現那須塩原市)出身で「那須の神様」「那須の小天狗(てんぐ)」と呼ばれた小針春芳(こばりはるよし)が57年の第22回、60年の第25回大会を制し、足利市出身の羽川豊(はがわゆたか)が81年の第46回大会、藤原町(現日光市)出身の矢部昭(やべあきら)が翌82年の第47回大会で王座に就いた。

 小針の2度目は今でも語り草となっている珍事による優勝だった。2位に2打差でトップフィニッシュの陳清波(ちんせいは)(台湾出身)のスコア誤記が発覚。繰り上げ優勝になったというものだった。11番パー4でボギーだったが、マーカーの小野光一(おのこういち)が誤って4と記入してしまった。その確認を怠りサインして提出してしまったのだ。いったんは陳の連覇という偉業達成となり、ホールアウト後は報道陣らに囲まれもみくちゃになっていたという。

 後に小針は、優勝カップを手にしても「なんとも落ち着かなかった。2位でよかった」と振り返っている。当時の優勝賞金は70万円。小針が6万円、小野が4万円を負担して10万円のカシミヤのブレザーを陳に贈ったという。

日光CC最終18番パー4
日光CC最終18番パー4

 第90回大会の開幕を待つ日光CCは1955年、県内2番目のゴルフ場として大谷川河川敷にオープンした。今年で開場70周年を迎える。国内第一人者の名匠、井上誠一(いのうえせいいち)の手による設計で、96年に日本アマ選手権、2017年に日本シニア、21年に日本プロ選手権など、たびたびメジャー大会の舞台となっている。

 その歴史ある日光CCで、賞金ランキングトップを走る生源寺龍憲(しょうげんじたつのり)、2位の米澤蓮(よねざわれん)、22年の日本オープンでアマ優勝を飾った蝉川泰果(せみかわたいが)らが日本一を狙う。今季ツアー初優勝を飾った阿久津未来也(あくつみきや)(宇都宮市出身)、シード選手の前田光史朗(まえだこうしろう)(下野市出身)の作新学院高出の2人を筆頭に本県勢が優勝争いを演じてくれれば、地元開催の大会がさらに盛り上がるのは間違いない。

 さあ、ティーオフまであと50日余りだ。