HC栃木日光アイスバックスの前身となる古河電工アイスホッケー部が誕生してから今年で100年を迎える。大正時代に生まれた国内最古のアイスホッケーチームは、不況の波にのまれて1999年の廃部で消滅の危機に陥った。その後クラブチーム化したが、何度もチーム運営危機に見舞われながら、クラブを立て直した。日光でつながれたバックスの歴史を振り返る。
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「日本最古のチームがこの地で歴史を刻み続けたことは、スポーツ文化にとって意義深い」
6月末、日光市の金谷ホテルで開かれたHC栃木日光アイスバックスの100周年記念事業発表記者会見。チーム関係者と共に出席した瀬高哲雄(せたかてつお)日光市長が強調した。バックスOBでもある瀬高市長は、市内全児童を試合に無料招待する事業について「地域に愛されたバックスならではの事業。子どもたちに夢や感動を与えられる」と感謝した。

1925年に開場した水沢リンク。フェンスのないリンクを観衆が取り巻いた(古河電工アイスホッケー部60年史より)
日光を舞台に1世紀続くアイスホッケーチーム。その起源は大正時代までさかのぼる。
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