「勢獅子」で芸者を演じる片岡市也(前列中央、国立劇場提供)

 「勢獅子」で芸者を演じる片岡市也(右、国立劇場提供)

 「勢獅子」で芸者を演じる片岡市也(右、国立劇場提供)

 「勢獅子」で芸者を演じる片岡市也(前列中央、国立劇場提供)  「勢獅子」で芸者を演じる片岡市也(右、国立劇場提供)  「勢獅子」で芸者を演じる片岡市也(右、国立劇場提供)

 歌舞伎を題材にした映画『国宝』の快進撃が止まらない。興行収入は9月7日までに130億円を超え、邦画の実写作品で歴代2位を記録する。ヤクザの家に生まれた喜久雄(吉沢亮)が、歌舞伎役者の家に生まれた御曹司の俊介(横浜流星)と切磋琢磨し、浮き沈みを経験しながら歌舞伎女形の人間国宝に上り詰める。ライバルストーリーの面白さもさることながら、劇中で披露される「京鹿子娘道成寺」「鷺娘」などの演目をきっかけに歌舞伎そのものにも注目が集まる。

 喜久雄のように歌舞伎に関係のない家に生まれた俳優は、この映画をどう見たのか。大学卒業後に入門して7年目の若手女形、片岡市也は喜久雄のことが「うらやましい」と語る。映画が描く女形の魅力とはどこにあるのか。喜久雄がなぜうらやましいのか。虚実を超えた『国宝』の魅力を聞いた。(取材・文 共同通信=東るい)

(1)上映後は立ち上がれず

―ご覧になったのは。

 「6月の下旬です。楽屋内で歌舞伎の話が上映されるっていうのは、広まっていたし、作者さんが中村鴈治郎さんのところに取材に行ったと聞いてました。じゃあ歌舞伎の再現度は相当高いんだろうなあ、見に行きたいなあと思っていました。ただ、われわれは休みが少ない。約1カ月の興行の後、そのまま翌月の舞台の稽古に入る時も。そんな中で3時間の上映。迷いましたけど、休演日前夜に行きました。上映が終わってもずっとふわふわとした、地に足がついていない感覚に襲われて、しばらく座ったままでした」

 「正直、違和感はあります。でもそれはささいなこと。例えば『娘道成寺』の最初の場面って“所化”というお坊さんが並ぶんですよ。でも映画ではいなくて、最初の『聞いたか、聞いたか』っていう所化が言うはずのせりふだけある。そもそも「名題下」(看板に名前が書かれる名題役者の下の位)という存在が映ってない感じがしましたね。細かいことを突こうと思えば、いくらでもあったんですけど、あれだけちゃんと歌舞伎の世界を描けていたら十分すごいじゃん、って感じにはなったんですよ」

―歌舞伎の魅力、エッセンスみたいなものがちゃんと出ていた。

 「めちゃめちゃ詰まってた。女形の魅力が詰まった映画です。(花井半二郎が俊介と演じた)『連獅子』や(長崎時代の喜久雄が披露した)『積恋雪関扉』はあるけど、立ち回り、いわゆるアクションシーンみたいな場面、立ち役的な派手なものはあんまりなかったですよね。世話物でも、『白浪五人男』だったり『三人吉三』だったり、いくらでもある。でもそういうのを出さずに、女形を重点的に描いた。私も女形を中心にやらせてもらっているので嬉しかったです」

(2)年齢を超越する女形のすごみ

―女形の魅力というのは華やかさですか?

 「年齢が関係ないところです。私『国宝』の登場人物だと小野川万菊さん(田中泯)が一番好きなんです。入門した時には、(実在の人間国宝だった)六代目中村歌右衛門さんや先代の中村雀右衛門さんは亡くなられていたので、実際は分からないんですけど、女形で人間国宝になる人はこういう感じなんだろうなって思わせてくれるのが万菊さんです」

 「歌舞伎を知らない人からすれば、おじいさんが若い娘を演じるのかと驚くと思います。それでも自然に女性に、女の子に見える歌舞伎の女形はすごいと入門前から思っていました。男が女を演じるだけでも、そんな芸術があるんだ!って思ったのに、60、70歳を超えて娘の役をやる。『国宝』では喜久雄が万菊さんを『化け物や』って言ってましたけど、確かにそうかもなって思いました」

 「坂東玉三郎さんの舞台を見ると、なんでこの人はこんなに女なんだろう、なんでこんなに美しいんだろうって不思議な感覚になるんですよ。万菊さんは、決して美人で年を取ったっていう感じじゃないけど、舞台に立っておしろいを塗って、役になったら、すごく美しくなれる存在。女形が行き着く先みたいないい役です」

(3)突き詰めた先の「きれいやなあ……」

―一番グッときた場面は。

 「喜久雄が舞台で天井を見上げて『きれいやなあ……』と言う場面。古典芸能って死ぬまでできるんですよ。でも20代でその世界に入って80歳までの60年間を、終わりがないものになぜ捧げるのかという理由は、うまく言語化できない。好きだからとしか言いようがない。映画を見ていたら、最後に喜久雄が『きれいやなあ……』って。もちろんそれが何なのか私も分からない。人間国宝になった、あの年齢まで芸を続けた人間にしか見えない何かだと思うんです。突き詰めた先にしかない何かを見たいから続けるだろうな、と」

 「自分の中にあるはずの、でも言葉にできない目標が、あのシーンに詰まっている。芸能の神様の顔を初めて見たのかもしれないし、その先に何か風景が見えたのかもしれません。第六感でしか感じ取れない何かが、芸道を突き詰めた先にようやく見えてくるというのが最後のシーンだと私は解釈しました」

―主役2人の歌舞伎の演技は。

 「私より上手かもしれない(笑)。動き、踊りももちろん素晴らしかったんですけど、何よりせりふ。歌舞伎のせりふは、私も『名題下』で言う機会があまりなくて、うまくなるまで時間がかかるんです。吉沢さんと横浜さんのせりふは、違和感なくすっと聞けた」

 「相当、努力したんだなぁ。もちろん本物の女形、玉三☆(郎の旧字体)さんや八代目尾上菊五郎さんらが舞台でやる『娘道成寺』とは違います。でも、1年半であそこまでたどり着いた。彼らは他の撮影があるのに…。もう歌舞伎役者になればいいんだ(笑)。白塗りも似合っていたし。私より美人だなぁ。うらやましくなるぐらい」

(4)血と努力

―御曹司と部屋子の対比は。

 「歌舞伎モチーフの作品って、御曹司対部屋子っていうのが多いですよね。歌舞伎の世界が世襲制だと言われている中での出世物語が多い。その構造の中で、出世の話だけに終わらず『俺は御曹司だから大丈夫』って思ってた人間が『このままじゃダメなんだ』って頑張る姿も描いた。どっちも敵じゃないっていうのがすごく良かったですね。今風ですよ。明確な悪人がいない」

 「血だけでもある程度まではたどり着ける。だからといって、あぐらをかいて努力しないで役をもらおうと思うのは駄目で、結局はみんな頑張らないといけない。血だけじゃ補えない部分があることを、歌舞伎を知らない方も分かってくれたんじゃないかな」

 「俊介は悲しい最期を迎えます。足を一本切っても、俺は芝居をやりたい、死ぬ間際まで芝居をやりたいという場面は泣きそうになりました。『曽根崎心中』のお初で、片足が義足で動くのがどれだけつらいか。腰を入れながら歩いてるんですけど、しんどすぎて常人じゃできないだろ…って。俊介の歌舞伎に対する愛みたいなものに、涙が出そうになりました」

―実際と違うところはどこでしょう。

 「映画の喜久雄は、出世するまでせりふのない役や踊りのしどころがない役をほとんど経験していない。目立つ場面がない役っていうのを経験したこともないかも。私なんか初めて舞台に立たせていただいた時は、女形で入門したけど、通行人の男だったんですよ。一瞬で通り過ぎるだけ。それが3年も4年も続く。せりふがもらえるかって言ったら、本興行でもらえる可能性は低い」

 「『国宝』を見て、われわれは本当に過酷な世界に生きてるんだなぁと思いました。はっきり言って、出世の道っていうのはだいぶ狭いわけです。10代後半から歌舞伎界に入って、女形の大役をできる人が今いるか、と言われたらそうではない。喜久雄みたいになる可能性っていうのはコンマ何%。もうゼロを何個つけていいのか分からないぐらい」

 「なのでよく聞かれるんですよ。『なんで続けるんですか?』って。別に、お給料が特別いいわけでも、休みがあるわけじゃない。一般の俳優さんみたいに何かの役で当たったら…みたいなチャンスも今の歌舞伎ではなかなかないですよね。好きじゃなきゃ続けられなくないですか」

―どういう瞬間がとりわけ好きですか。

 「もちろんお客さまに反応していただけるのはすごく嬉しいです。でも私は、ようやくこの役の何かを知れたと思えた時が一番嬉しい。『引窓』のお幸(義理の息子の出世のため、殺人を犯した実の息子・長五郎を差しだそうとする)で『覚悟は良いか?』って言った後、自然と涙が出てきた。その世界の一人の住人になれたんだ、ということに喜びました。長五郎が本当に捕まって、死んじゃうんだなって思ったら涙が出てきて、その瞬間、お幸という役の一歩目、二歩目ぐらいまでは知ることができたんだなって、思いました」

(5)せっかくやるなら女形

―大学を卒業して歌舞伎の道へ。そもそもどういう経緯で進まれたのですか。

 「演じることがやりたいと思っていました。歌舞伎は男が女をやるというイメージが頭に残っていたんです。自分じゃない人間になりきる中で、性別を超越できるのが一番すごくない?って思ったんですね。せっかくやるんだったら、女形の方が面白いかなと」

―伝統芸能との接点は。

 「祖母がいろいろ教えていたんです。民謡、三味線、詩吟、太鼓とか。三味線はよく家で聞いていました。子どもの頃、祖母の会で民謡も歌っていました」

 「大学に入った時、歌舞伎研究会があったんですよ。興味があったわけじゃないですが、その時の歓迎行事で歌舞伎座に行った。今でも演目は覚えています。『石切梶原』『心中天網島』『石橋』。新しい世界を見たな、って。アクションシーンもあって伝統芸能という割にはいろいろ自由なんだな、と」

 「その後、スーパー歌舞伎☆(ローマ数字2)『ワンピース』を見ました。伝統芸能なのに『ワンピース』?みたいな驚きもありましたし、すごい感動しましたね。歌舞伎すげーな、なんでも受け入れるって、歌舞伎の可能性ってどんだけ広いの?となりましたね」

 「新卒で一般企業に就職もできたと思うんですけど、大学の4年間で国立劇場の芝居に行ったり、歌舞伎座の安い3階のチケットを発売初日に買ったりしていたので、この世界に入りたいという気持ちを捨てられなかったですね。入門したらやっぱり大変でしたけど」

(6)脇役しか…という覚悟

―片岡市蔵さんに入門されました。どうやって決めましたか。

 「23歳で入った人間が主役をできるかというと、そうではない。そのことは知っていました。頑張って頑張ってようやく脇役ができるようになるんだと分かった時に、脇役の精神、大事なものとは何かを学ぶべきなんだろうと思ったんです。うちの旦那(片岡市蔵)は、主役をやるわけじゃない。でも、この人だ!みたいなお役を結構やられる方だと思うんですよ。片っ端から映像で歌舞伎を見ていた時に、片岡市蔵の名前は必ずあって、記憶に残る。『外郎売』の茶道珍斎、『毛抜』の百姓万兵衛…。主役と同じで、脇役にもこの人がいないと次は誰がやるんだ?という役者がいる。それを学びたくて旦那に入門しました」

 「旦那の『車引』の藤原時平も好きです。10月に福岡・博多座と京都・南座でやります。楽しみですが、自分は黒衣でゆっくり見られない。衣装の着方から、裏の仕事の段取りから、怒鳴られないように頑張ろうと思ってます(笑)」

 「でも怒られるのはわれわれの世界、普通なんですよ。この前、旦那も『稚魚の会・歌舞伎会合同公演』を見に来られて、当然褒めるわけではなく、いろいろご指導いただいた。でもそういうものです。怒られて成長しないといけないところもあるし、褒められなくても頑張ってやっていこうという世界なんで。褒めていただくのはお客さまに任せます(笑)。幕内では褒めるよりもまず、どうしたらいいかっていうのを一つでも教えてもらいたいですね」

 「花井半二郎(渡辺謙)みたいに扇子で叩いてたら、今の時代なら怒られますよ(笑)。昔はああいうのがあったとは聞きますが、それはさすがにないです」

―辞めようと思ったことは

 「ここ数年、続けるかどうか悩んでいた時期もありました。どうしてもネックなのは出世できないこと。そもそも舞台に上がれるかどうかも分からない。そんな世界で生きてていいのか。そう思っていた今年2月に、『人情噺文七元結』の角海老の娘分お光をやらせていただいたんです。私の人生が切り替わった瞬間。選択は正しかったのかっていろんな後悔があったんですけど、歌舞伎座の大舞台でお光という大きい役を頂けて、自分の選んできた道は、今日のために、このひと月のためにあったんだ、という風に思えたんですね」

 「辞めていたら、私には歌舞伎座でせりふを言う機会なんて一生なかったんです。歌舞伎座でのせりふは喉から手が出るほど欲しいものでした。そんな中で、一言どころか…。本当に夢のような時間でした。また次、文七元結をやる時は、市也を使おうって思ってもらえるようになりたいなと思いました」

(7)芸の頂点は幸せか、不幸か

―『国宝』がこれほど人気になるとは。

 「映像美と、ちょっと考えさせられる話だからじゃないですかね。勧善懲悪の話ではない。映画の最後に、娘さんから『悪魔はんに感謝やな』と言われる通り、喜久雄は全てを投げ捨てて人間国宝という芸の頂点までたどり着く。でもそんなに人を不幸にしてまで得たいほど素晴らしいものなんですか?っていう問いかけですよね」

 「喜久雄の人生を幸せと思える人は役者に向いていると思います。世の中、二兎を追うものは一兎も得ず、なわけじゃないですか。一つ、二つ、三つと、たくさん追っていったら、努力の総数が分散するから、どれかが落ちる。喜久雄ってめちゃめちゃ幸せ者だな。そう思った瞬間、私って歌舞伎が好きなんだと思いました。自分の好きをそこで再認識できて、見て良かったです」

(8)ピラミッド頂上に超えられぬ壁

―原作は読了していますか。

 「買いましたが、なかなか読めませんでした。心に“来る”ところが何カ所かあるんで…。『喜久雄、あんたずっと良い人生だよ』っていうのを見てるのが辛い。自分たちはこうなれないのに、15か16くらいで入って、あんなに早く『藤娘』なんて踊れないよって。喜久雄の人生すら恵まれて見えるってことですね。一般の人から見て喜久雄は苦労の側。でも私からすると、全部が幸せなんです。御曹司のもらうはずの名前を継いで、その後、落ち目になったにしても、どれだけすごいことか。私は羨ましいですね。職業的なつらさですよね」

 「歌舞伎にはヒエラルキーがありますが、完全に(下から)上に行けるんだったらピラミッドですけど、このピラミッドのてっぺんは多分、浮いてるんですよ。超えられない溝であり壁。世襲制であり、世襲制じゃないにしても、子どもからやっていないと超えられない。私が、歌舞伎役者だけど血のない人間です、みたいな話をすると、『玉三郎や片岡愛之助とかと一緒だ』と言われますが、あの方々は幼少期から歌舞伎界にいらっしゃる。私みたいに大卒で入った人間とでは、埋められない溝がありますね」

―血と家柄の溝もあるし、時間、経験の溝とも闘っている。

 「子どもの頃にやるというのが、日本舞踊でも大切なんです。子どもの吸収率っていうのは高い。12歳でスタートするのか、20歳ぐらいでスタートするのかで、覚えやすさも吸収率も違うんですよ。映画でも『真綿が水吸い込む感じやわ』というせりふがありますが、そういうものだと思います」

(9)若い世代に支えてもらえる歌舞伎を

―その状況でより上に行くには。

 「(実技や筆記による)名題試験に受かれば、ある程度せりふのある役がつくようになります。芸歴を重ねさえすれば試験に受かるかって言われたら、そういうわけではない。名題試験って入門から最低10年しないと受けられないと言われます。最悪のパターンを考えちゃうと、ずっと『名題下』止まりになる可能性は決してゼロではないし。でも、やらなかったらゼロなんですよ。役をコンスタントにもらえるように試験を突破して名題になるっていうのは最低限必要かと思います」

―師匠のように、記憶に残る脇役になりたいですね。

 「芸の上達はもちろん、下の人間も頑張っている歌舞伎を観に来てくれませんかって言えるようにしたい。『名題下』であることを言い訳にしたくないです。来年、30歳の節目を目標に地元(埼玉県越谷市)で自主公演をやりたいと考えております。『国宝』を見て、実際の歌舞伎ってどんなんなんだろうって思ってる人はいると思うんです。でも、初めの一歩踏み出すというのは、とても難しい。地元で歌舞伎に興味を持ってくれた小学生、中学生とか、若い子たちに、今後歌舞伎を支えていただけるようになってほしいという思いも込めて。きれいな女形だけでなく、歌舞伎の愉快な側面を見せて、いろんな世界があるんですよって分かってもらえる公演にしたいなと思います」

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 片岡市也さんの師匠である片岡市蔵さんは「市川團十郎特別公演」夜の部「車引」に藤原時平で出演します。日程は以下の通り。

10月1~6日福岡・博多座

10月10~26日京都・南座