深い霧の向こう側で、戦艦の砲口が一斉に火を噴いた。1945年7月17日深夜。茨城県日立市は、太平洋岸に立ち並ぶ軍需工場を狙った米軍の艦砲射撃に襲われた。
わずか20数分の間に、市内に撃ち込まれた40センチ砲弾は約870発。標的は戦艦から2~3キロ先の各工場だったが、外れた弾は周辺に住む一般市民の上にも容赦なく降り注いだ。
沼田清治(ぬまたせいじ)さん(90)=同県東海村=は、100人以上が亡くなり最も被害の大きかった旧多賀町(同市)の自宅にいた。
「起きろ、逃げるぞ」。当時10歳。鬼気迫る様子の父親にたたき起こされ、戦闘帽やゲートルは枕元に置いたまま、庭先の防空壕(ごう)に飛び込んだ。家族と親戚の8人で身を寄せ合って息を潜めた。「ズドーン」と大地を揺らすほどの衝撃が続く。「すさまじい音が何度も体を突き抜けた」。暗闇の中で恐怖に震え、思わず失禁したという。
残り:約 1045文字/全文:1446文字
この記事は「下野新聞デジタル」のスタンダードプラン会員・愛読者(併読)プラン会員・フル(単独)プラン会員のみご覧いただけます。
下野新聞デジタルに会員登録すると…
- 事件事故や高校野球・イベントなど速報でとちぎの「今」が分かる
さらにスタンダードプランなら…
- デジタル有料記事の大半が読める
- 教育や仕事に役立つ情報が充実
愛読者・フルプランなら…
- アプリも使えて、おくやみ情報もいち早く