ガランガランと、空が割れるようなごう音がとどろいた。終戦間際だった1945年7月20日の午前8時過ぎ。1発の爆弾が新潟県長岡市左近町の畑に落ちた。広島と長崎に原子爆弾を投下した米軍特殊部隊が、事前訓練として全国各地に落とした「模擬原爆」だった。
現場近くに住んでいた横山修次(よこやましゅうじ)さん(83)=新潟県柏崎市=は当時3歳だった。祖母リノさん=当時(61)=に付き添われ、離れの雪隠(トイレ)で用を足していた時に被災した。
すさまじい衝撃で近くの民家は吹き飛ばされ、木々もなぎ倒された。リノさんは即死。修次さんも破片で腹を負傷した。「わあわあ泣いたことだけは覚えている」。泣きじゃくり、リノさんの体を揺すり続けた。
模擬原爆には高性能火薬が詰まっており、長岡市では4人が亡くなり、5人が負傷した。「ばあさんは立っていたから直撃を受けた。私はしゃがんでいたから助かった」。修次さんはリノさんが「身代わり」になってくれたと振り返る。
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