2021年、ショパン国際ピアノ・コンクール2度目の挑戦で第4位に輝いたピアニスト小林愛実。10月に来日するポーランドのオーケストラ、シンフォニア・ヴァルソヴィアのツアーでは、ショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏する。ショパンの演奏には人一倍思い入れがある小林に、その魅力やコンクールの思い出を聞いた。(取材・文 共同通信=田北明大)
―10月の公演では、2021年のショパンコンクールでも弾いたピアノ協奏曲第1番を演奏します。この曲への思い入れは?
「14歳の時のリサイタルで披露してから弾き続けていますが、いまだに100%納得して弾けたことはないんです。ショパンが若い頃の曲で、これからどれだけ自分の力量を見せていけるのか、という強い意思を感じます。第2番に比べて華やかでまとまりがあるので、コンクールのファイナルでも多くの人が弾いていますし、私も演奏しました。でも私の解釈は万人受けしないみたいで、すごく美しく弾いたと思ったのですが、後で『テンポが遅い。もっと普通に弾けばいい順位だったのに』と指摘されて、少し気にしました。そうした心残りがあるので、今度もシンフォニア・ヴァルソヴィアというワルシャワのオーケストラと演奏できるので、もう一回ちゃんと取り組みたいと思っています。寝てても弾けるほど覚えているんですけどね、この曲は…」
―シンフォニア・ヴァルソヴィアの特徴は?
「2016年に共演しましたが、もともと室内オーケストラとしてスタートした楽団ということもあり、ソリストに柔軟に寄り添ってくれてすごく楽しかった記憶があります。ショパンコンクールのファイナルで共演するワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団もそうですが、ポーランドのオーケストラは、素朴でノスタルジックな雰囲気の音楽を奏でます。日本人もなじみやすい演奏だと思います」
―ショパンの演奏は難しそうです。ただ自分の思うように弾くのではなく、いかに「ショパンらしく」弾けるかが求められる気がします。
「今のショパンコンクールにはいろいろな演奏があって、必ずしもショパンらしいから1位ということでもない。でも私のショパンはショパンらしいと思います」
―小林さんの思う「ショパンらしい」演奏とは?
「強さがありながら繊細さもあるところとか、長いフレーズをくどく歌うのではなく、繊細を保ちながら歌うとか。確かにショパンの音楽には強い部分があるんですけど、それを勢いや力で表現するのではなく、少し引いた違う面で表現するのがショパンっぽいと思います。というのも、ショパンは大変な人生を送ってきて、彼が生まれた時は(ポーランド分割により)ポーランドという国は存在せず、独立のための反乱も起きた。だからショパンも自分のアイデンティティーをすごく求めたはずです。しかもフランスに移ってから故郷に帰ることはできなかった。家族や故郷を思う気持ちはあったけど、直接触れることはできない。そうしたことが音楽に表れています。私は感情を曲に落とし込んで弾くのが得意なので、ショパンの人生の背景や、性格などは時間をかけて調べて勉強してきました。だからショパンらしく歌うということに関しては、自信があります」
―いつごろからそう思えるようになりましたか?
「2015年に最初にショパンコンクールに出たときにはまだそこまで分かっていなかったと思います。21年にもう一回コンクールに取り組む中で、自分なりのショパン像が見えてきたのかなと思います。これからも弾き続けると思うし、マズルカなんかは本当に難しくて、ポーランド人じゃなきゃ表現できないのかな、と思いますけど」
―ポーランド人じゃないと本当のショパンは弾けない?
「そう言われた時は、『私はポーランド人じゃないから分かりません』って返しています。それでいいんじゃないですか。でも、そうしたことも含めてショパンを理解しようとする心が大切なんだと思う。もちろん、自分の家族だって何を考えているか分からないんだから、亡くなった歴史上の人物のことを100%理解するのは無理。だからこそ、その人をどこまで理解しようとするかが大事だと思うんですよね。私はショパンを知るのに時間をかけたし、たくさんの作品を弾いてきたので、自分の中で見えてきた彼の音楽の存在は大きい」
―ショパンコンクールでの経験は、人生にどのような影響を与えたのでしょうか。
「人生が変わりましたよね。もちろんリサイタルやメディアへの出演が増えて忙しくなったと言うこともありますが、2回出場したことで相当精神が強くなったと思います。1回目でファイナルへ行ったので、2回目もファイナル進出が最低ラインでした。自分ではプレッシャーを感じていませんでしたが、終わった後に気が楽になってご飯も食べられるようになったので、やっぱりストレスは感じていたみたいです。でも1回目の後に自分がどのような音楽家になりたいか明確になってきて、音楽性やアプローチも変わったので、2回目は一から取り組むという感じで楽しかったし、選考過程ごとに成長する自分を実感できました」
―どのような成長?
「たとえば、ものすごく耳が良くなったんです。その期間。自分でもびっくりするくらいすべての響きが聴くこえました。人間、究極の場所に放り出されると能力が発揮されて成長するんだな、とすごく感じました。ショパンコンクールに出て良かったな、と思います。音楽家として、自分の人生の中で乗り越えなければいけないステップで、いろいろな意味で成長させてくれました」
―今年のコンクールでは、ファイナルの出場者は協奏曲の前に「幻想ポロネーズ」を弾くことになります。
「私、『幻想ポロネーズ』、大好きなんです。晩年の作品で、相当内容が深い。ショパンの作品の中で一番音楽的に難しいと思う。でも一番美しい。大好き。ショパンの人生を感じる最高傑作です。幻想曲という性格が強く構成がしっかりしていないので、どう表現するかが難しく、下手すると未熟なところが出てしまう。時間をかけて勉強しないといけない曲です」
―小林さんにとってショパンはどのような存在ですか?
「ショパンが弾けたら他の作曲家も弾けるようになると思います。ショパンって意外とうまく弾くのが難しいんですよ。エチュードとか、全然難しく聴こえない曲でも、めちゃくちゃ難しいんです。他の曲でも、指をしっかり独立させて弾かないといけないし、テクニックと音楽性のバランスが求められる。私にとってショパンの音楽は好き嫌いではなくて、いろんな人生のターニングポイントでそばにいてくれたから、感謝ですね。ありがとう、私をここまで育ててくれて」
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「クレッシェンド!」は、若手実力派ピアニストが次々と登場して活気づく日本のクラシック音楽界を中心に、ピアノの魅力を伝える共同通信の特集企画です。
小林さんらが出演するシンフォニア・ヴァルソヴィアの公演日程は以下の通り
10月4日東京・すみだトリフォニーホール(小林愛実)
10月5日東京・NHKホール(反田恭平、小林愛実)
10月6日東京・すみだトリフォニーホール(イーヴォ・ポゴレリッチ)
10月7日愛知県芸術劇場コンサートホール(イーヴォ・ポゴレリッチ、小林愛実)
10月9日大阪・住友生命いずみホール(イーヴォ・ポゴレリッチ)
10月10日大阪・住友生命いずみホール(小林愛実)
10月12日京都コンサートホール(小林愛実、マルタ・アルゲリッチ)