今や全国的知名度を誇る「餃子(ぎょーざ)のまち宇都宮」。だが餃子のまちおこしが始まる前は、餃子と言えば「ニンニクくさい」など現在のような肯定的イメージばかりでなく、まちの顔となる存在ではなかった。どんなきっかけで餃子のまちづくりが始まったのか。経緯をひもとき、その立役者たちに話を聞いた。
今月1、2日に宇都宮城址公園で開かれた「宇都宮餃子祭り」は、2日間で約16万人(主催者発表)を集客した。その盛況ぶりに目を細めるのが、元市職員の塚田哲夫(つかだてつお)さん(69)だ。
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