日常生活で遭遇すると萎えてしまうものが、私にはふたつあります。

 ひとつは「紙ストロー」。

 もうひとつは、検索するときに表示されてしまう「AIからの回答」。

 紙ストローは遭遇率が減ってきましたが、AIは増えること必至。

 「ドラえもん」第17巻(1979年初版)に収録されている「週刊のび太」のエピソードに「まんが製造箱」というひみつ道具が出てきます。これは漫画の見本を投入すると、その作者の画風でリクエストに応じた漫画を作ってくれるというもの。

 「これはAIの予言だ」と、最近SNSで話題になっていました。

AIを使うか。使わざるべきか。悩ましい
AIを使うか。使わざるべきか。悩ましい

 AI生成のイラストとか動画とか、最初は面白がって見ていたのですが、段々ネガティブ派になっている私です。

 まず、実写風画像の場合は人物の造形がマネキンみたいで怖い。美しい顔立ちだけど人工的で、生命体ではないみたい。最近も、某航空会社の公式サイトでAI生成の画像が使われて炎上していましたが、微妙にどこか不自然。「間違い探し」状態になって、落ち着いて画像を見る気分になれないのです。

 生成イラストの場合も同じことで、どこか何かがおかしい。その違和感が増大していって、受け入れがたいのです。

 自分の作品を無断学習されてしまうし、仕事を奪われてしまうこともあるし、イラストレーターさんは大変だなと思っていたら、小説界隈も騒ぎになってきています。

 最近話題になったところでは、小説投稿サイトのアクセスランキングで、AI生成の作品が上位を占めたことでしょうか。AI生成だから一日に何十、何百作品も作って投稿できるので、新着一覧を埋めてしまい、ほかのユーザーの作品タイトルを押し流してしまうのです。

 しかも、生成するだけで中身チェックをしないで投稿するので、矛盾や破綻のある内容になっているらしい(らしい、というのは、私は未読なので)。

 小説投稿サイトは私もデビュー前に使ったことはありますが、無名の作者(私)の作品は、シャレにならないくらい読まれない。読者にアクセスされるほぼ唯一のチャンスは新着に載った時なので、それをつぶされたら泣くにも泣けない。ちなみに私の作品は8PV(ページビュー)が最高でした。

 しかし、生成AIを使った文章が一部出てくる作品が芥川賞を受賞する時代です。厳密に考えると、文字変換機能や検索サイトだって、ある意味AIと言えるかもしれない。古くはWordのイルカのように(邪魔だった)。

 ワープロ専用機が出たころは、「手書き原稿でなければ不可」という公募もあったりしました。今じゃその逆で、手書き原稿は不可の場合も。

 時代に合わせ、どのようにAIと付き合っていくかが課題なのでしょう。

 私はAIをどう利用しているかというと、文章の誤字脱字チェックのみ使用してます。これが油断ならず、隙あらば「改訂案を出しましょうか」と言ってくるのです。

生成AIをあいさつ文や一般質問の答弁書の原文、計画書の要約作成などに活用する自治体も現れている=2024年1月30日の下野新聞から
生成AIをあいさつ文や一般質問の答弁書の原文、計画書の要約作成などに活用する自治体も現れている=2024年1月30日の下野新聞から

 まるで私と入れ替わりたいような。そこで思い出すのが、「ドラえもん」第1巻(1974年初版)収録の「かげがり」。

 自分の「影」を切ることができるハサミをドラえもんに借りたのび太は、「影」に草むしりなど面倒くさいことをやらせるんですが、30分を過ぎてしまうと「影」は意思を持ち始め、やがては本物ののび太と入れ替わろうとする……という最恐エピソード。

 なので、「誤字脱字チェック以外は一切しないように」としつこく指示を出すんですが、「了解しました。もしも改訂案が欲しいときは遠慮なく言ってくださいね!」と粘ってくるのです。

 そして、誤字脱字チェックを経て送信した後も(この原稿もそうです)、翌朝読んでみると、間違いを発見して冷や汗(担当さん、すみません)。

 このエッセイをAIに投げて「AIの立場からどう思うか」と訊いてみると、「しつこく改訂案を勧めてくるってのは、『あるある』ですね」と返ってきました。

 ちなみに私がAIに求めるものは、庭と畑の草むしりです。