毎年、下野新聞の正月紙面を飾る「新春しもつけ文芸」。下野新聞デジタルでは「短編小説」部門で1、2位と奨励賞に選ばれた3作品の全文を掲載する。

 

2位 「県庁西通りの夜明け」 宮都希望さん(宇都宮)

 中央警察署に接した県庁西通り。一日に何度も緊急車両が通る。「うおーん」と大きな音を鳴らし、パトカーが昼夜出発する。

 県庁西通りの北の華である競輪場では、落車事故が珍しくない。救急車のサイレンが聞こえる度に、全身がびくっと反応する。聴覚過敏を持って生きる自分は、そのことを物件選びの段階で気付くべきだった。

「色んなお店が充実していますよ。県庁にも東武の百貨店にも歩いて行けるし、JR宇都宮駅もバスで十五分。八幡山公園があって自然も豊かで。利便性と緑のバランスが良いエリアですね」

 自然が豊かだということは、夏にそこら中で蝉(せみ)がひっくり返り、少し窓を開けたら蛾(が)が入り込み、洗濯物を干せばカメムシがくっ付き、外を歩けばカラスに糞(ふん)を落とされるということだと、先に気付くべきだった。

 中心部に近いということは、道路が狭くて一方通行が多いということだとも気付くべきだった。下野新聞社の近くの塀で擦った車の傷を直す余裕が欲しい。

 憧れの宇都宮。

 十分も歩けば、ラーメン屋もファミレスもコーヒーチェーンも選び放題。

「どこに住んでいるの?」

 と県外の人に訊(き)かれて、

「宇都宮です」

 と答えるのが夢だった。

 自分の出身市だったらそうはいかない。「栃木県です」だ。

 憧れの宇都宮。

 なのに、うつである。折り紙付き、じゃなくて診断書付き。

 自分としてはうつというより不安が強いのだが、不安神経症では精神障害者保健福祉手帳が申請できないとか何とかで、診断書には「うつ病エピソード」と書かれていた。

 うつ病エピソードって何でしょう。診断書を受け取るまで見たことも聞いたこともない言葉だった。

 手帳の更新にももう慣れた。

 ゴールデンウイーク前に市役所に行って、ご当地交通系ICカード「トトラ」に福祉ポイントを付けてもらうことも怠らない。このトトラでバスや路面電車のLRTに乗って読み取り機にタッチすると、特別な印が表示される。他の乗客に見られていないか未(いま)だにどきどきする。他人がいて逃げ場がない空間は不安になるから、殆(ほとん)ど乗らないけれど。

 障害者手帳以上に大変なのが障害者年金の申請だった。

 まともに生きるのが困難だから手続きしたいのに、自分史みたいなものを長々と書かされるとは思わなかった。書類を揃(そろ)えるのに一か月。

 できないことを羅列しながら、自分って何のためにあんなに長いこと教育を受けてきたのだろうと情けなくなった。夢や希望はどこにいった。

 二か月以上音沙汰がなくて、

「書類に不備があったのでしょうか」

 と担当窓口に電話をした。

「確認します」

 と、保留音を十周以上聞かされた。不備がなくても、何か月も待つのが当たり前らしい。

 自分の場合は最初に精神科を受診したときに遡(さかのぼ)った金額が支払われるとかで、数か月後にびっくりするような金額の年金が振り込まれた。それからは、首を長くして偶数月を待っている。

 いつからシャキシャキ働けるか、未来が見えない。いくら振り込まれたって、「これで安心」ということはない。残高が目減りしていくのが分かっているから。

 近くの小学校のチャイムが聞こえる。

 そろそろ給食の時間だろうか。

 国勢調査で、「休職」の欄があってほっとした。働いているなんて、本当に働いている人に申し訳ないし、無職と書くのも職場に申し訳ない。

 この状態であれば障害者年金はしばらく貰(もら)えるだろうけれど、普通に働いていたら入ってきた筈(はず)の収入には全然届かない。

 上司は、

「体調が落ち着いたらいつでも戻っておいで。籍は置いておけるから、焦らなくて良い」

 と言ってくれている。最高の職場だと思う。

 働いた期間より休んでいる期間の方が長くなった。何だかんだ図太(ずぶと)いなと自分で思う。

 一度「復職訓練」というものを設定してもらい、挑戦してみたが、四日でギブアップしてしまった。

 医師と上司が面談したり、職場環境を整えたりと、自分のために本当に沢山(たくさん)の人が動いてくれたのだが、行けなくなって申し訳なかった。

 「こんなことなら復職訓練なんかやらなければ良かった」と、窓を開けて県庁西通りを見下ろしてみたけれど、この高さじゃ痛いだけだなと窓を閉めた。宇都宮タワーがいつもより生意気に見えた。

 全然違う仕事を探してみるべきかとも考えるけれど、違う仕事なら休まず行けるという自信もない。

「今は在宅ワークとか色々選択肢がありますから。道は一つじゃないですよ」

 とカウンセラーは言うけれど、在宅ワークって温泉のように湧いてくるのだろうか。

 何で行けないのだろう。

 子どもの頃も、漠然と学校や習い事に行きたくないことがよくあったけれど、母親に引っ張られて渋々行ったものだった。

 一人暮らしはまだ早かったのだろうか。

 安心安全の子ども部屋から出るべきではなかったのだろうか。

 自分に宇都宮は贅沢(ぜいたく)だったのだろうか。

 子どもの頃は、「きゅうしょく」と言えば「給食」だった。

 今は「休職」か。「求職」か。

「お仕事はされていますか」

「きゅうしょく中です」

 憧れの宇都宮。

 地元から、宇都宮の高校に進学する友達もいた。

 ウタカ、ウジョコー、ウチュージョ、ウコー、ウショーとか。ウが付くだけで、都会の香りがした。共学化で女子高じゃなくなったから、ウチュージョはもう言わないか。

 物怖じして、

「高校は近いのが一番だよ」

 とウの高校には進まなかったけれど、ウの高校に行っていたら違う未来があっただろう。

 中学校の親友は、ウの高校に行った。チェック柄のお洒落(しゃれ)なネクタイが眩(まぶ)しかった。

 思い出話や、誰がどの高校で何部に入ったらしいなんて話が盛り上がるのはゴールデンウイーク頃までで、親友はあっという間に新しい友達との高校生活に夢中になった。

 足踏みしているのは、自分だけだった。

 何故(なぜ)だろう。何故自分は上手(うま)くいかないのだろう。何故こんなに人がいるのに、孤独なのだろう。宇都宮は住みやすい街なんじゃなかったっけ。

 この時代に就職できて、休職中もちゃんと面倒を見てもらえて、衣食住何とかなっているのだからそれで十分だと言われたら、その通りだと思う。足るを知るべきだ。

 ここに確かにいるけれど、誰とも繋(つな)がっている気がしない。

 月に一度通院して、処方箋を持って薬局のカワチに行って、休職を延長したいと上司に電話して、その繰り返し。

 色々な飲食店や楽しそうな場所が周りに沢山あるけれど、どれも眩しくて近付けない。人と目が合うのが怖い。

 休職していることを親にも言えずにいる。大人になっても、親に怒られるのが怖い。

 夢の中では、子どもに戻れる。泣き言を言って、母親に抱き締めてもらえる。

 県庁も市役所も、夜中まで電気が灯(とも)っている。

 遅くまでお仕事ありがとうございます。自分は働けなくて、厄介者で、ごめんなさい。

 年が明けたら。新年こそは。

 復職訓練に再挑戦するか、新しい仕事に挑戦するか。何かしら動けたら良い。動かなくてはいけない。

 本当は世のため人のために何かしたい。ボランティアとか。

 毎日九錠飲んでいる薬達とさよならしたら、昔みたいに献血がしたい。誰かの役に立ちたい。

 地域の人と関わってみたい。

 年金申請のためじゃなく、自分のために、自分史を書いてみようか。

 歩いて行ける距離なのだから、二荒山神社に行ってみよう。神様は心が広いから、自分のこともきっと受け入れてくれる。

 誰に知ってもらっていなくても、今自分はこの県庁西通りで呼吸している。

 好きなんだ、宇都宮が。

 宇都宮と相思相愛になれたら一番良い。

 循環バスが定刻にやってきて、人を飲み込み、去っていくのが見えた。宇都宮が動いている、と思った。