一つの記事が人々の人生に刻まれ、その積み重ねが歴史になっていく。下野新聞は本日、通算発行号数である「紙齢(しれい)」が5万号を迎えました。
1878(明治11)年6月1日、栃木町(現栃木市)で創刊された前身の「杤木(とちぎ)新聞」時代から数えて147年余り。県内の出来事をつぶさに記録しながら、県民・読者と共に歩んできました。「下野」に信頼を寄せ、支え続けていただいた皆さまに心から深く感謝を申し上げます。
■発行に度重なる試練
本紙は、現存する地方紙としては全国で9番目に古い新聞です。半年足らずで発行を終えた「杤木新聞」の後を継ぎ、79年8月には足尾鉱毒事件の解決に生涯をささげた田中正造(たなかしょうぞう)ら自由民権運動家の尽力で第2次「栃木新聞」が再刊されました。編集長を務めた正造はその翌月、論説で「国会を設立するは目下の急務」と訴え、いち早く国会の開設を世に問うています。
今、民主主義を支える装置として国会は機能しているのか。政治はその役割を果たしているのか。正造が紙面で訴えた思いを継ぐ者として、私たちは誠実に批評を続けていかなければなりません。
くしくも、きょう8日は第51回衆院選の投開票日です。玉石混淆(ぎょくせきこんこう)の情報があふれるSNS時代。記者が現場で丹念に取材した事実に基づく正確な情報を判断材料に、ぜひ投票所に足を運んでください。
本紙は幾度もの大きな試練を乗り越えてきました。最大の危機は1945(昭和20)年7月12日の宇都宮空襲で社屋が炎上し、翌13日の新聞が発行できなかったことです。
戦後80年の2025年、歴史の空白となっていた第2万469号を特別紙面として「復元」し、発行しました。武力で言論活動を妨げられた経験を持つ新聞社の使命として、戦禍を二度と繰り返さない、戦争のためにペンを執らないと誓った原点を忘れず、平和報道に力を注いでいきます。
もう一つの危機は、2011年3月11日の東日本大震災です。計画停電の影響や印刷設備の被害などで、新聞制作は大打撃を受けました。暗闇の中、わずかな明かりを頼りに紙面作りをした日もありました。社員は皆「紙齢は絶やさない」「必ず読者に紙面を届ける」という思いでした。
震災から来月で15年。災害を風化させず、伝え続けていくことは地元紙の責務です。正造が鉱毒被害民のために力を尽くしたように、被災者をはじめ犯罪被害者など苦難の中にいる人々に寄り添った報道を続けていきます。
■心に響く紙面を誓う
5万号に寄せて、鹿沼市出身のノンフィクション作家で本紙客員論説委員の柳田邦男(やなぎだくにお)さん(89)からメッセージをいただきました。「ジャーナリズムの使命の一つは公権力の監視だ。独立したメディアとして公権力と対峙(たいじ)することがあっても、書くべきは書く。場合によっては、なぜ書くかを読者に訴える。下野新聞にもその姿勢を貫いてほしい」。叱咤(しった)激励を真摯(しんし)に受け止め、批判精神を持ち続けます。
この紙面には、人々の喜びと悲しみ、笑顔と涙が刻み込まれています。新聞は人生そのものの記録でもあると言えるでしょう。だからこそ、心に響く記事を一本でも多く届け、人生を豊かにする存在でありたいと思っています。
ハイパーローカル(超地域密着)を掲げる本紙は、これからも県民・読者と共に、地域ジャーナリズムの灯をこの地にともし続けます。積み重ねた5万という数字の重みをかみしめつつ、感謝とともに誓いを新たにする朝です。
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