長男愛斗君への思いを語る熊野正則さん。愛斗君の机に置かれた図鑑やフィギュアには手をつけられずにいる=4月中旬、鹿沼市

 鹿沼市樅山町の国道293号で2011年4月、登校中の児童6人がクレーン車にはねられ死亡した事故は18日、発生から15年を迎える。長男愛斗(まなと)君=当時(11)=を失った熊野正則(くまのまさのり)さん(57)は事故後、職場の視線が気になり仕事を変え、大病を患って死を考えたこともあった。変えられない遺族という立場に心が落ち込む時、いつも支えとなるのは短い人生を懸命に生きた愛斗君の記憶だ。「愛斗に学び、誇れる格好いい父親でいたい」と今を歩んでいる。

 「少しずつ気持ちの整理はできるようになってきました」。4月中旬、自宅で取材に応じた正則さんが近況を語った。11日に執り行われた15年祭の前、愛斗君が事故時に着ていたジャージーを処分したという。「ボロボロになってきてしまってかわいそうで…」

 15年前の春、愛息との突然の別れで正則さんの生活は一変した。職場に戻ると、同僚は気を遣って自分たちの子どもの話題を避けるようになった。腫れ物に触るようだった。いたたまれなくなり、事故の4カ月後、市外の会社に転職した。

 事故の原因は、てんかんを隠して運転免許を不正取得した運転手が服薬を怠った末の発作だった。11年の暮れから、他の遺族と悪質運転の厳罰化や免許の不正取得を防ぐ法制度の改正を求めて署名活動を始めた。全国から集めた約20万人の思いは国を動かした。

 進行した胃がんが見つかったのは8年ほど前だった。偶然、愛斗君をみとった病院に入院した。怖くはなかった。「早く愛斗に会えていいかもしれない」。死を受け入れようとしていた。

 だが見舞いに来た妻の姿を見て思い直した。妻は義母の看病をしながら一家の面倒を見ていた。「愛斗は何を望むだろう」と考えてみた。思い浮かんだのは常に周囲に優しく、妹や弟の面倒見が良かった息子の姿だった。「父として残された家族の幸せを守っていこう」。そう決心した。

 昨年、刑期を終えたクレーン車の運転手が若くして亡くなったと耳にした。「子どもを失うつらさをどれだけ分かっていたのか」と複雑な感情が湧いた。

 夢中となったことに全力で生きた愛斗君。大好きな野球は決してうまい方ではなかったが、練習でも手を抜かなかった。正則さんは「今、親として愛斗を見習うことが多い」と語る。自身も仕事に全力で打ち込み、やりがいを感じることで自分を保っているという。「愛斗が見ているから」泣き言は言わない。