2004年に建設中止が決まった県道の塩那道路について、県は廃道の手続きに入ることを明らかにした。那須塩原市中塩原-百村(もむら)を結ぶ延長51キロのうち中止区間36キロで植生回復が確認されたためだが、これだけの規模で一般供用されずに道路が廃止される例は全国でもまれだ。県は計画が頓挫した理由、投入された経費はもちろん、植生回復のプロセスなど、塩那道路を巡る経緯を県民につまびらかにし後世の教訓とすべきだ。

 「塩那スカイライン」とも呼ばれ、観光周遊道路として高度経済成長期の1962年に計画された。標高差千メートル超の山間部を通り、陸上自衛隊にも協力を求める難工事で71年に工事用の道路が完成。翌72年に県道認定したが、県財政の悪化などから10年後の82年には、後に建設中止となる区間が建設凍結された。

 凍結から中止決定まで22年。凍結したのは船田譲(ふなだゆずる)知事だが、渡辺文雄(わたなべふみお)知事を経て福田昭夫(ふくだあきお)知事が中止方針を決め、福田富一(ふくだとみかず)知事が正式決定と、知事4人が関わる懸案だった。工事用道路に維持費をかけながらなぜ決断に年月を要したのか。背景に80~90年代のバブル景気や87年の総合保養地域整備法(リゾート法)施行など時代の変遷はあるにせよ、その時々の県政が事業をどう評価していたのか。県民には知る権利があるはずだ。

 植生回復は現地に生える樹木の植栽などにより開発した地表の8割が低木や下草などに覆われたことを踏まえ、第三者委員会が確認した。県は残された作業小屋や標識などを撤去した上で道路法の廃止手続きを進め、最終的には中止区間のうち28キロを林野庁に返地する。橋などの大きな構造物が設けられ原状回復が難しい残り8キロは、県が管理を継続する。

 一連の手続きを終えた後、県は計画を巡る記録をまとめ、県立文書館で公開する方針という。より多くの県民が閲覧できるよう、インターネットにより電子データでの公開も検討してほしい。

 また回復が確認されたとはいえ、ある程度の期間は崩落がないかなど最低限のモニタリングは必要だろう。現地は急峻(きゅうしゅん)な斜面もあり、冬季は風雪も厳しい。昨今は各地で記録的な大雨も少なくない。

 周辺は大佐飛山自然環境保全地域をはじめ豊かな自然が残る。塩那道路の教訓とともに、後世へ守り残したい。