今回は昭和の時代に「プロよりうまいアマ」と評されたレジェンド・富田昇吾(宇都宮)に振れてみたい。
富田さんは県内で初めてハンディ0のスクラッチプレーヤーとなった人物だ。今年で61回となる県知事盃で史上最多の4回優勝で“ミスター知事盃”の称号を得ている。史上初の連覇も達成、2位4回、3位2回。1960~70年代に築いたその栄光の歴史はまだ輝き続けている。さらに知事盃大会の誕生にも関わるなど、県内ゴルフ界の礎を築いた人物でもある。
栃木県ナンバー1アマとしてプロトーナメントの東北クラシック(現JCBクラシック)にも招待されたことがあった。ドライビングコンテストでは315ヤードのジャンボ尾崎の旗を3ヤード越えた。売り出し中のジャンボ超え。ヘッドはパーシモン、ボールは糸巻き、スチールシャフト時代でのビッグドライブ。最後は飛ばし屋のケサゴン、内田袈裟彦に破られたが、その名は全国にとどろいた。
富田は野球人でもあった。とはいっても高校からという珍しい経歴。宇都宮商高の4番で、3年夏は北関東大会にも出場。準決勝で高崎高(群馬)に敗れ、あと一歩で甲子園を逃した逸材だった。進学した明治大でも外野手として神宮のグラウンドに立った。
ゴルフへの誘いは慶大在学中の弟・祐司の「兄貴、ゴルフは面白いぞ」という言葉だった。家業に専念していた時、クラブを握ると、すぐにその魅力にひかれた。ゴルフは一部の富裕層の娯楽という時代。もちろん宇都宮市内に練習場もない。宇都宮市川向町の自宅駐車場屋上に4打席の「鳥かご練習場」を造った。「おやじに怒られたが、1日2千球打ったこともあった」という。
1963(昭和38)年にはオープン2年目の宇都宮CCのメンバーとなった富田。「当時、最もうまかったトラさん(竹中十良雄)をやっつけることが最大の目標だった」。同CCのクラブチャンピオンに輝いたこともある増渕洋介元国体ゴルフ競技監督は「北1番はグリーンの面が見えるところまで飛ばした。あの飛距離はすごかった」と振り返る。一方、“名器”アクシネットを使用したパットも巧みだった。塩原の目のきついグリーンを簡単に攻略していった。
知事盃でのエピソードは数知れず。とくに75年の第10回大会優勝は、後にプロとなり、日本オープンを制してマスターズに出場した高校生・羽川豊(足利)を振り切っての2度目の栄冠だった。「父親の米豊さんから面倒を見てほしい」と頭を下げられてのラウンドだったが、最終ホールで振り切る内容。数年前に羽川プロに取材した時は半世紀前のことにもかかわらず、「富田昇吾さんに届かなかった」とフルネームで覚えていたのには驚いた。
県内大会では知事盃4回のほかは、74年の第3回栃木オープンのベストアマがある。今年3月で86歳を迎えた。200回以上のエージシュートを達成しているという。もう競技ゴルフからは離れているが、できるなら小さなバックスイングで、ややエルボーの独特で豪快なスイングを大会でもう一度見てみたいものだ。
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