松本育夫さん

地球環境高(長野)で監督を務め、全国高校選手権初出場に導いた当時の松本さん(奥)=2002年12月、長野県佐久市

松本育夫さん 地球環境高(長野)で監督を務め、全国高校選手権初出場に導いた当時の松本さん(奥)=2002年12月、長野県佐久市

 ほとんどの3年生にとってインターハイは高校部活動の集大成の舞台です。開催中止の決定はとても残念ですが、嘆く必要はありません。取り組んできたことが生かされる場面は、この先の人生で必ずあります。それは私自身が身をもって経験したことです。

 私は1964年の東京五輪で日本代表メンバーから外れました。選考1年前の欧州遠征で膝を負傷したからでした。当時22歳。高校1年の時に日本代表入りを決意し、夢の実現まであと一歩のところでした。

 それでも次のメキシコ五輪で代表となり、アジア初の銅メダルを獲得することができました。夢を諦めず、強い気持ちで人並み以上の努力を続けてきたからだと胸を張って言えます。

 2度目の挫折は1983年11月。42歳の時、死者14人、重軽傷者28人に上るガス爆発事故に巻き込まれました。私は全身の40%にやけどを負い、両手両足を骨折。それでも奇跡的に生き残りました。爆発の瞬間、無意識のうちに呼吸を止めていたんですね。それで熱風を吸い込むことなく肺を守れたんです。ボールを蹴る瞬間に息を止めるサッカーの習慣が役立ったのでしょう。全力で取り組んできたサッカーに命を救われたのです。

 高校生の皆さんの将来はこれからです。卒業後の進路もさまざまでしょうが、競技の継続だけが人生ではありません。新たな目標を見つけて再び挑戦をすればいいのです。継続して目標に向かい続けられれば、全力で取り組んできた行動や体験が必ず生かされるはずです。皆さんの活躍を期待しています。

 ◆プロフィル 1941年、宇都宮市生まれ。宇都宮工高-早大-東洋工業(現J1広島)。早大1年時に日本代表入りし、68年のメキシコ五輪で銅メダル獲得に貢献。