親湯温泉が貸し出している入浴着。肩の部分は片側のみで圧迫感なく両胸を覆える=2月、諏訪市

 乳がん手術を経験した女性が浴場利用時に胸を覆う肌着「入浴着」。その利用を巡って長野県伊那市の会社員の女性(47)が「認知されておらず、地元の温泉で使いづらい」と信濃毎日新聞に思いを寄せた。上田市にルーツがある会社が考案してから25年-。本紙「声のチカラ」(コエチカ)取材班が取材を進めると、貸し出し用を備えるなど積極的な事業者がある一方、利用を断る事例がなくならない実態も見えてきた。専門家は正しい理解を促す必要があると指摘する。

 女性は昨年1月14日、ステージ2相当のがんが左の乳房に見つかった。精密検査の結果に言葉を失った。「なんでまた…」。10年前も乳がんを経験し、当時は部分切除と抗がん剤治療を選んだが、今回は再発リスクを避けるため、4月に全摘手術を受けた。

 ■「見られたくない」

 大の温泉好きで、前回の手術直前に「家族で行くのは最後になる」と、一家で訪ねた。幸い、予想より傷痕は残らなかったが、全摘した今回は違った。手術痕を見られたくないし、目に入った他の利用者に不快な思いをさせたらどうしよう-。不安がよぎって足が遠のいた。

 看護師からもらった術後の手引きで「入浴着」のページに目が留まった。これなら温泉に行けると思ったが、よく読むと、県内で貸し出しているのは普段行かないような高級ホテルだった。買うと1着4千円ほど。「お金がたまったら行こう」。自分に言い聞かせた。

 諏訪地域で温泉旅館を営む親湯温泉(茅野市)は、乳がん手術を受けた女性にも使ってもらおうと、以前から術後女性らを対象に貸し切り風呂を無料で提供している。入浴着の無償貸し出しは4年前に導入。現在は2施設で2着ずつ用意し、ホームページや館内ポスターで着用への理解も求めている。持参する人もいて貸し出し利用はこれまでに10件ほど。マーケティング担当の今井さおりさん(31)は「隔てなく利用してもらうユニバーサルサービスの一環」と話す。

 ■日帰り施設浸透せず

 乳がん経験者の利用環境づくりに積極的な温泉施設は「ピンクリボン温泉ネットワーク」をつくっており、事務局の認定NPO法人J・POSH(日本乳がんピンクリボン運動、大阪市)によると、現在全国で約130カ所が加盟している。このうち県内は7カ所だ。ホテル・旅館は年々増えているが、公設の日帰り温泉施設はほとんど加盟しておらず、運営主体ごとの温度差もある。

 伊那市には市所有の日帰り温泉施設が2カ所。市観光課によると「それぞれポスターを掲示して理解を求め、希望があれば着用を認めている」が、貸出品の用意などについては「利用希望がどれほどあるか見通せず、導入は考えていない」という状況だ。

 厚生労働省が昨年12月に全国383事業者を対象に実施した調査によると、入浴着の利用を認めていないとの回答が17%を占めた。理由は「衛生的でない」「貸し切り風呂を推奨している」など。都道府県などへの調査では入浴着を理由とした入浴拒否は2018年度以降、少なくとも4件あった。

 入浴着に詳しい畿央大(奈良県)の村田浩子教授(被服学)によると、事業者が利用を認めても従業員が把握していない場合もあり、実際にはもっと多くの入浴拒否事例があるとみる。村田教授が20年に奈良県内の33施設に問い合わせた調査では27施設が使用不可と回答。「事業者は啓発ポスターを張るだけでなく、マニュアルへの明記などで現場の浸透に努める必要がある」と指摘する。

 公衆浴場法は「入浴者は浴槽内を著しく不潔にする行為をしてはならない」と規定。複数メーカーが入浴着の販売に参入するが、現在は衛生面の根拠となる統一的な製品基準はない。村田教授は「広く認知されるためには確実に品質を担保していかなければならない」と、メーカーの役割の重さも強調する。

 ■先進地化への期待も

 1998年に入浴着を考案したのは当時上田市に本社があった乳がん患者用下着開発販売のブライトアイズ(東京)だった。加藤ひとみ社長(69)は、公共性を認めて最初に普及に協力したのは長野県だったとし「いい温泉がたくさんある長野だからこそ、入浴着でも先進地になってほしい」と期待する。

 乳がんは女性が患うがんのトップだ。県内外の経験者らでつくる「桜むね」の吉沢英子代表(64)=松本市渚=は「入浴着を使う人もいるが『かえって目立つ』と避ける人もいる。利用する人を見たら温かく見守ってほしい」とする。

 信毎に思いを寄せた女性は「諦めていたことが一つできるだけで心持ちは大きく変わる。身近な温泉や銭湯こそ配慮が行き届いていてほしい」と話している。

 入浴着 乳がん患者用下着の開発販売を手がける上田市発祥のブライトアイズ(東京)が1998年に考案。年間3千着ほど販売している。ポリエステルやナイロンなど撥水(はっすい)性の高い素材で繰り返し使える製品の他、使い捨ての商品もある。2006年には全国で初めて長野県が利用への理解を求めるポスターを作り、県内の旅館やホテルに配布。厚生労働省は都道府県などに対し「清潔な状態で使用される場合は、衛生管理上の問題はない」との通達を出している。

(信濃毎日新聞)