工業団地なくして今の真岡市はない。
1889年、明治の大合併で誕生した3村1町が1954年、昭和の大合併で真岡市となった。人口約4万2千人弱。それが66年には3万8千人にまで減る。
62年に市長となった後の参院議員の故岩崎純三(いわさきじゅんぞう)の言葉が残る。「これといった産業もなく年々過疎化が進行し、こんな状態から何とか抜け出したいとの願いが、市民の焦りにも似た感じで高まりつつあった」
脱却を懸けたのが内陸型の工業団地。岩崎が旗振り役となって企業誘致に飛び回り、神戸製鋼など多くの企業が進出した。66年に第1工業団地の造成が完了して以降、人口増に転じ、81年には5万3千人にまで急増した。同年度の一般会計の歳出額は、62年度の48倍と劇的な発展を見せる。
今や六つの団地に100社以上。真岡工業団地総合管理協会の小池敏之(こいけとしゆき)さん(64)は「工業団地がなかったらどれほど人が減り、寂れていたか」と振り返る。
2009年、二宮町が市に編入合併し、人口は8万3千人に。イチゴを筆頭とした農業と工業、商業の調和の取れた町としての魅力を掲げる。一方、22年には7万8千人を下回った。将来的な人口減少の幅をどれだけ狭められるか。市は若い世代の就職や結婚、出産、子育ての希望の実現、人口流出に歯止めをかける総合戦略に知恵を絞る。