1963年1月1日の野木駅東口。この日、野木駅の開通と町制施行の祝賀会が盛大に行われた(野木町提供)

 野木町は明治の町村制施行以降、合併を経験していない県内唯一の自治体だ。

 町村制により1889年、友沼村、野木宿、川田村など10村が合併し、町の原型となる野木村が誕生した。1916年に約8千人だった村人口は50年には1万1千人を超えたが、ここで村の在り方を揺るがす局面を迎えた。53年の町村合併促進法施行に伴う「昭和の大合併」だ。

 県の試案では当初、間々田町(現在の小山市間々田など)との合併が示されたが、同町と生活圏が重なる北部地区に対し、茨城県古河市と隣接する南部地区とで村論が割れた。

 最終的には野木の枠組みを維持することを選択し、63年に野木町が誕生。要因の一つが同年の国鉄(現JR)野木駅の新設だ。町史編さんにも携わった町教委生涯学習課嘱託の舘野清(たてのきよし)さん(68)は「新駅を核に新しい町づくりをしようという気概があったのでしょう」と話す。

 自主独立の道を選んだ町は積極的に企業誘致をするなど尽力。首都圏に近いことからベッドタウンとしても注目された。人口も87年に2万人を突破し、ピークの99年4月1日には2万7053人に達した。

 しかし、その後は漸減し、今年4月1日現在は2万4477人。令和の世にどのような町を目指すかが問われている。