現在の町域は、かつて26の村で構成されていた。1889年の町村制施行で武茂、西武茂、大内、大山田、那珂の各村が誕生。その後、武茂村は馬頭町、西武茂村は武茂村、那珂村は小川町にそれぞれ改称・町制施行した。
第1回国勢調査が行われた1920年の人口は2万2811人。ピークは47年の3万1729人だった。戦後、徴兵からの帰還が影響しているという見方がある。
馬頭町と武茂、大内、大山田村が合併した直後の55年までは3万人台を維持。この頃の様子を元町職員で町なす風土記の丘資料館長の稲澤正広(いなざわまさひろ)さん(64)は「タバコ生産がピークの時期。農家が商店街ににぎわいを生んでいた。歌謡ショーが盛んに開かれ、北島三郎(きたじまさぶろう)さんも来ていた」と振り返る。児童数も多く、馬頭町内には十数校の小学校があったという。
高度経済成長期に入ると若年労働人口が都市部に流出する。75年には55年比25%減の2万3061人になった。
2000年までは減少傾向は緩やかだったが、05年に2万人を割ると減少が加速。20年には1万5215人になった。県のまとめによると、15年から20年までの5年間の人口減少率は10・3%。県内市町で唯一、2桁に達し、ワーストだった。