1971年に日産自動車栃木工場で造られた第1号車の完成式典(日産自動車提供)

上三川町の人口の推移

1971年に日産自動車栃木工場で造られた第1号車の完成式典(日産自動車提供) 上三川町の人口の推移

 多くの県内市町と同じく、上三川町も1889年の町村制施行により、従来あった村々が上三川、本郷、多功の3村に集約された。その数年後、多功村は明治村に改称。上三川は村から町になった。1920年、これら3町村の人口は計1万3761人を数えた。

 戦後となり、47年には2万109人に増加。そして55年、3町村は合併し、現在の町域を持つ上三川町が発足した。

 59年には新庁舎が落成。高度経済成長を背景に、町は工場誘致を積極的に進めた。64年には日産自動車栃木工場の誘致が決まり、68年に操業を開始。当時、県内随一の規模を誇る上三川工業団地が完成した。

 70年代に入ると交通インフラの整備も進んだ。71年に開業した宇都宮貨物ターミナル駅は、東京貨物ターミナル駅に次ぐ輸送量となり、隣接する上三川町も国内交通の要衝となる。

 75年の人口は2万3631人に達した。その後も新国道4号や北関東自動車道の開通、大型商業施設の進出、上三川インター南産業団地の整備と発展は続く。

 21世紀に入ると人口は3万人台に達し、2010年には3万1621人となった。その後は微減に転じ、今年6月1日現在3万859人。町企画課の柴光治(しばみつはる)課長は「産業団地の造成や交通インフラの整備などが人口増を後押しし、町勢が拡大した」と話す。