1970~80年代、旧佐野市は近隣の他市に比べ、地域振興が遅れているという焦燥感があった。
「両毛の谷間にしてはならない」。当時の早川吉三(はやかわきちぞう)市長の言葉には、大規模な産業用地造成が喫緊であったことがうかがえる。
そこで白羽の矢が立ったのが市南東部に位置し、田畑が広がる越名、高萩町などだった。東北自動車道の佐野藤岡インターチェンジに隣接し、北関東3県を結ぶ国道50号が横断する。交通の要所で企業誘致や宅地開発に向け大きな需要が見込め、「発展の起点に」との期待が膨らんだ。
これが「佐野新都市」事業であり、整備面積は約140ヘクタール。市や県の要望を受けて、旧地域振興整備公団が97年に着工し、組織再編に伴い引き継いだ都市再生機構による事業が2007年に完了した。
今や新都市は市の活気の象徴ともいえる。中核の高萩・越名の「サザンクロス佐野」には、大型商業施設などが集積する。今年開業20周年の「佐野プレミアム・アウトレット」の延べ利用者数は1億2800万人という。都内との間を高速バスが結ぶ。
半面、少子高齢化に伴う人口減は市も例外ではなく、活況を支える都市機能の維持などに向け、新たに立地適正化計画を掲げる。
高萩地内には来春、大規模災害時の一時避難機能を備えた市公園が開園する。6月初旬、クスノキの植樹が行われた。強く早い成長が特徴といい、金子裕(かねこゆたか)市長は「(大樹となり)地域のシンボルとなってくれるはず」などと述べた。
その時代には、どんな景色が見えているのだろうか。