宮崎学園は春夏通じて初の甲子園出場。1939年に女子校として開校した私立校で、2003年の男女共学化とともに野球部が創部された。
ノーシードで挑んだ宮崎大会は全5試合を戦い、2点差以内で頂点まで勝ち上がるなど接戦に強さを見せる。日南学園との準決勝、聖心ウルスラとの決勝はいずれもサヨナラ勝ち。決勝では延長十回タイブレークの末に1-0で制した。
投手陣の柱は背番号11を背負った2年生左腕の河野伸一朗(かわのしんいちろう)。全5試合に登板し、準々決勝をのぞく4試合を完投した。189センチの長身から投げ下ろす直球、切れ味鋭いスライダーなどの変化球で組み立てる。甲子園ではエースナンバーを背負う。
チーム打率は2割4分4厘ながら、主砲の川越魁斗(かわごえかいと)や準決勝でサヨナラ本塁打を放った斎藤崚雅(さいとうりょうが)が勝負強い。