出馬正式表明の直前、茂木県連会長(右)と話し込む福田氏=21日午後、宇都宮市駒生1丁目

 「はばかりながら、6選目の知事選に立候補する決意をした」。21日夕、宇都宮市内で開かれた後援会総連合会代表者会議で、福田富一(ふくだとみかず)知事(71)が言い切ると、待ちわびた支持者の拍手で会場は沸いた。知事の任期満了まで既に半年を切っていた。

 福田氏は明言を避け続けた。2024年度県当初予算案の議決後に、公にするとしていた進退。3月19日に予算案が可決された後も態度を変えず、同30日に後援会総連合会から出馬要請を受けても「どういう回答になっても勘弁してください」と答えるにとどめた。

 それから3カ月。決断のきっかけの一つは、ある経済関係者からの叱責(しっせき)だったという。「皆さんの世話になって、いまさら自分の都合で引退なんて言うな。政治家が畳の上で死ねると思うな」

 自身の年齢、多選批判。23年末、福田氏は「フレッシュな人に県政を託すべきだ」と勇退の意向を固めていた。しかし「県政を安定的に発展させてほしい」と続投を望む政財界の多くの声に心は揺れた。そして叱責が背中を押した。

 「経験と人脈を生かせるのではないか」。福田氏が6選出馬の腹を決めたのは、5月のゴールデンウイーク(GW)ごろだったとされる。

 決意とは裏腹に、沈黙は続いた。「本当に出るのか」。県政界に疑心は生じ、自民党のベテラン県議は後援会総連合会幹部に詰め寄った。自民内部で、立候補を模索する動きも出た。福田氏を推す自民が一枚岩になれない。そんな状況を招きかねなかった。

 米国への外遊などを控えた福田氏は、政党の支援取り付けなどの準備を終えられていなかった。沈黙には、出馬表明まで慎重に事を進めたいとの意図があったとみられる。

 5月16日。福田氏の考えや、自民内部の不満をくみ取った自民県連の木村好文(きむらよしふみ)幹事長が、福田氏と県連幹部5人の会談を設けた。「自民、公明の推薦が得られれば出馬へ調整したい」。福田氏の言葉で、事態は大きく動いた。

 6月中旬、東京都内の自民党本部。党幹事長を務める茂木敏充(もてぎとしみつ)県連会長は福田氏と向き合い、声をかけた。「申し訳ないけれど、(6選目を)やってください」

 その約10日後、福田氏は出馬を正式表明した。「当然、厳しい選挙になる」。硬い表情でこうも口にした。