
1939(昭和14)年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻した。これを発端に、第2次世界大戦は始まった。
翌2日付の本紙では「遂に戦端火蓋を切り 独波両軍国境で激戦」との見出しで侵攻を報道。ポーランドがドイツの要求を拒絶したことなども掲載し、不安定な欧州情勢を伝えている。
国内では、挙国一致を推進する体制が整っていった。長期経済戦に耐える国力を養うため設置された国民精神総動員委員会は6月、パーマや学生の長髪、ネオンなどを禁止した。
「興亜奉公日」が定められ、国旗掲揚や勤労奉仕、一汁一菜などの質素な食事が奨励された。人口を増やすために、国が発表した「産めよ殖やせよ国のため」のスローガンが流行したのもこの年だった。
「闇価格」によるコメの取引も問題となった。11月22日付の本紙では、佐野署が闇取引を検挙し取り調べを行っていることなどを報じている。
県内では12月、エックス線室やマッサージ室など当時の最新医療機器を備えた傷痍(しょうい)軍人塩原温泉療養所が開所した。この場所には現在、県医師会塩原温泉病院がある。