
1941(昭和16)年12月8日、日本軍はマレー半島に上陸し、ハワイでは真珠湾を急襲した。イギリスとアメリカが日本に宣戦布告し、アジア・太平洋戦争が始まった。
翌9日付の本紙は「宿敵米英膺懲(ようちょう)の日遂に来る」「米英に宣戦布告」と開戦を大きく報道。「大奇襲戦の成功」と真珠湾攻撃が成功したことや、奇襲上陸したマレー半島で戦果を上げていることなどを伝えた。
県内の様子も細かくつづっている。下野新聞本社前の戦況速報所に多くの人が駆け付けたことや、宇都宮二荒山神社で戦勝祈願する女性たちがいたことなども写真とともに報じた。
この年は、4月に従来の小学校を改め国民学校が成立。初等教育の場は皇国民鍛錬の場に変化した。県内では9月に陸軍宇都宮飛行学校が開校、11月には宇都宮市で全国初の銅鉄類特別回収が実施されるなど“総力戦”の色が濃くなった。
言論統制の一環として進められた新聞統制の一つ「一県一紙」。下野新聞が本県の代表紙と決まったのもこの年だった。翌42(昭和17)年の統合で、部数は6800部から2万1300部となった。