太平洋戦争末期に学童784人を含む1484人が犠牲になった沖縄の学童疎開船「対馬丸」事件は22日、80年となる。大惨事から生還した元教員新崎美津子(にいざきみつこ)さん(享年90歳)の長女で栃木市西野田、上野和子(うえのかずこ)さん(77)は教え子を救えなかった母の苦悩に思いをはせ、「一つの区切りで特別な年。疎開船の悲劇を多くの方に知ってもらい、平和への思いを強くしてほしい」と願う。
対馬丸は1944年8月22日、学童834人を含む1788人を乗せ長崎県へ航行中、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した。犠牲者の中には教師が親を説得し、疎開のために預かった子どもいた。美津子さんは自責の念から沖縄に帰れず、医師の夫と本県に移住。晩年、体験を話し始めた。
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