1990年8月12日の下野新聞1面

1990年8月12日の下野新聞に掲載された茂木氏の顔写真

1990年8月12日の下野新聞1面 1990年8月12日の下野新聞に掲載された茂木氏の顔写真

 27日の自民党総裁選に挑む茂木敏充(もてぎとしみつ)幹事長(68)=衆院栃木5区。政界進出前の1990年、経営コンサルタント時代のインタビュー記事が8月12日付の下野新聞1面に掲載されていた。わんぱくだった子ども時代、本質を追い求めた勉強法、「やむなく」受験した東大…。企画「TOKYO県人記」で紹介していた当時34歳の茂木氏の言葉からは、旺盛なチャレンジ精神が垣間見える。

 下野新聞アーカイブシステムから全文を紹介する。(表記、表現は当時の紙面のまま)

◆知識、発想をフルに生かし

 マッキンゼー・アンド・カンパニーという社名を聞いてピンとくる人は少ないに違いない。しかし「新・国富論」を著した大前研一氏を代表とする米国系の経営コンサルタント会社といえば、うなずく人も多いはずだ。茂木さんはそこで自分のスタッフを抱える上席コンサルタント。企業の依頼に応じ経営戦略をつくる。最近多い注文は「国際化」への対応、だという。 

 昭和六十一年の総選挙時にはマッキンゼー選挙プロジェクトのリーダーを務め、マーケティング手法で「自民300議席」をピタリ予測した。

 昭和五十九年の入社だが、その前一年間は読売新聞の政治部記者として総理官邸を担当していた。

 「記者という職業は好きでしたけど、物事を二次的に伝える仕事でしょう。自分の力で何かをつくりたい、と思い始めたんです」。早めの転身は大成功だったようだ。「これを持ったら離せません」とインタビューの間もテーブルの上に携帯電話を出しっ放し。自分の知識、発想、価値観をフルに生かせる今の仕事が楽しくて仕方ないといった風情だ。 

 小学時代は四年生まで足利市立北郷小の月谷分校で過ごした。「小学校、中学校と勉強はしなかったですね。その代わり校舎の窓ガラスを割るとか悪いことは随分やって、親がよく学校に呼び出されてました」。ところが、高校に入ると「砂に水がしみ込むように」勉強が面白くなった、という。「それも無駄な勉強が好きで。例えば数学なら『数学とは何か』みたいな本、授業で古典をやればその原典とかね、そんなものばかり読んでました」。この辺が茂木流発想のルーツかもしれない。

 大学は当初、京大志望だったが、学生運動が盛んなのを知って両親が反対、やむなく受験先を東大に変えたという。それも「たくさん受けるのは面倒臭い」と受験は東大一校の“一本勝負”。「当日は、メシを食べると眠くなると思って、栄養ドリンクを二、三本飲んで午後の試験に臨みました」。この人のやることはどこか面白い。仕事に対しては「多ければ多いほど、大きければ大きいほど好き」と言ってのける。おう盛なチャレンジ精神は栃木県人というより「足利人」というべきか。

もてぎ・としみつ 足利市月谷町生まれ。足高、東大卒、米国ハーバード大修士課程修了。商社勤務、新聞記者を経てマ社入社。現在、国土庁、自治省などの各種委員会委員。「足利未来倶楽部」事務局代表。著書に「都会の不満、地方の不安」(中央公論社)東京都目黒区在住。