「幼子から年寄りまで33人の尊い命がわずかな時間で奪われた」。80年前の凄惨な光景を思い起こす岡村さん=1月24日、足利市百頭町の自宅、永嶌理絵撮影

40年前、被災地の地蔵院に建てられた慰霊碑。凄惨な戦禍を今に伝えている=1月24日、足利市百頭町、永嶌理絵撮影

戦時中に撮影した家族写真を眺める斎藤さん=1月22日、宇都宮市西川田5丁目の自宅

1945年の足利市内。この年の2月10日、市南部に位置する百頭町が空襲に遭った(足利市提供)

「幼子から年寄りまで33人の尊い命がわずかな時間で奪われた」。80年前の凄惨な光景を思い起こす岡村さん=1月24日、足利市百頭町の自宅、永嶌理絵撮影 40年前、被災地の地蔵院に建てられた慰霊碑。凄惨な戦禍を今に伝えている=1月24日、足利市百頭町、永嶌理絵撮影 戦時中に撮影した家族写真を眺める斎藤さん=1月22日、宇都宮市西川田5丁目の自宅 1945年の足利市内。この年の2月10日、市南部に位置する百頭町が空襲に遭った(足利市提供)

 のどかな農村地帯に無数の爆弾の雨が降り注いだ。

 1945年2月10日の昼下がり。足利市百頭町に突如サイレンが鳴り響いた。「防空壕(ごう)へ入れ!」。8歳だった岡村良司(おかむらりょうじ)さん(88)は、祖父の鬼気迫る一声で家の中から飛び出し、庭先の防空壕へ逃げ込んだ。

 むしろが敷かれた3畳ほどの空間に、家族9人で身を寄せた。