立ち退きを命じる紙の形状を手で示す川那部さん=2月20日、京都市中京区の京都新聞社

建物の取り壊しに協力する警察官。柱につなげた綱を引いているとみられる(1945年4月13日付京都新聞から)

立ち退きを命じる紙の形状を手で示す川那部さん=2月20日、京都市中京区の京都新聞社 建物の取り壊しに協力する警察官。柱につなげた綱を引いているとみられる(1945年4月13日付京都新聞から)

 1945年3月、日本の大都市に空襲が相次いだ。10日に東京、13日に大阪が焦土と化す中、京都市で18日、住居や店舗を破壊する第3次「建物疎開」が始まった。対象は1万戸。空襲の延焼防止のため、人々の生活基盤が公権力に奪われた。

 川那部浩哉(かわなべひろや)さん(92)=京都府木津川市=の実家があった京都市下京区の「専福寺」も姿を消した。チンチン電車が走る烏丸(からすま)通と呉服関連の店が並ぶ五条通の交差点そばにあった。

 住職だった父は既に亡く、母ツヤさんと2人暮らし。当時、小学6年だった。帰宅すると、はがき半分ほどの大きさの紙切れがくぐり戸に貼られていた。