地下鉄サリン事件の発生と首謀したオウム真理教の教祖・麻原彰晃(あさはらしょうこう)(本名・松本智津夫(まつもとちづお))元死刑囚の逮捕から今年で30年を迎えた。山梨県の地方紙山梨日日新聞による、サリン製造拠点があった同県旧上九一色村(現・富士河口湖町)の視察会が4日までに開かれ、教団の進出に反対した地元住民らによる組織の委員長と、逮捕後に移送される麻原元死刑囚を撮影した同紙のカメラマンが当時を振り返った。
逮捕「恐怖やっと一段落」
オウム真理教対策委員長を務めた江川透(えがわ・とおる)さん(89)

「オウムが入ってきてしっちゃかめっちゃか。死に物狂いで対策したんだ」
1989年、酪農が盛んな静かな村に不気味な白い覆面姿の信者たちが突如入ってきた。教団施設「サティアン」建設や「マントラ」と呼ばれるお経の騒音に悩まされる日々。住民は対策委員会を立ち上げ、江川透(えがわとおる)さん(89)も恐怖の中、腹をくくった。


「8時48分 ボーリング機械動き出す」「10時30分 オウム男が望遠でこちらを見る。責任者らしい」-。高台に建てたプレハブ小屋から施設に出入りする信者や車の動きを、仲間と24時間態勢で監視した。今も残る「監視日誌」には、教団関係者の一挙手一投足が詳細につづられている。

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