栃木県道小山結城線を茨城県結城市方面に向かうと、県境近くで「和談(わだん)坂」と書かれた看板が目に入る。車で通るとほとんど気付かないくらいの緩やかな坂だが、ここは国史跡「中久喜城跡」の名前の由来となる兄弟武将の和談が行われた場所とされる。「中久喜には和睦の喜びを久しく忘れないように、という願いが込められている」。地元の小川悟郎(おがわごろう)中久喜自治会長(74)は、こう解説してくれた。
残り:約 565文字/全文:767文字
この記事は「下野新聞デジタル」のスタンダードプラン会員・愛読者(併読)プラン会員・フル(単独)プラン会員のみご覧いただけます。
下野新聞デジタルに会員登録すると…
- 事件事故や高校野球・イベントなど速報でとちぎの「今」が分かる
さらにスタンダードプランなら…
- デジタル有料記事の大半が読める
- 教育や仕事に役立つ情報が充実
愛読者・フルプランなら…
- アプリも使えて、おくやみ情報もいち早く