太平洋戦争末期の宇都宮空襲で、市郊外にあった宇都宮刑務所も被災し、受刑者1人が犠牲になっていたことが8日までに、下野新聞社の調べで分かった。同刑務所の空襲被害の実態は明らかになっていなかったが、本紙が取材過程で、「在監者一名が爆死」と記された1963年の法務省の戦災記録を確認した。市の戦災記録保存調査に携わった歴史研究家の大嶽浩良(おおたけひろよし)さん(80)は「一次資料といえる」と指摘し、現在「620人以上」としている空襲の死者数が「621人以上」に変わると評価。調査を継続する重要性を印象づけた。

 終戦の約1カ月前、45年7月12日深夜から13日未明の同空襲は米軍のB29大型爆撃機115機が約1万2700個の焼夷弾(しょういだん)を投下した。特に中心部東寄りの地域で被害が大きく、街は焼け野原になった。