意識が戻り、目を開けると、おぶっていたはずの3歳の妹がずぶぬれになって岸壁に横たわっている。既に虫の息で、小さな手で地面の砂をかきむしっていた。その後の記憶は断片的だ。
1945年7月4日未明の徳島大空襲。当時8歳だった美馬礼子さん(88)=徳島市八万町夷山=は一緒に逃げていた妹、そして母、弟を失った。「なんで死んだのか」。80年の月日が流れても、昨日のことのように思う。
残り:約 1173文字/全文:1371文字
この記事は「下野新聞デジタル」のスタンダードプラン会員・愛読者(併読)プラン会員・フル(単独)プラン会員のみご覧いただけます。
下野新聞デジタルに会員登録すると…
- 事件事故や高校野球・イベントなど速報でとちぎの「今」が分かる
さらにスタンダードプランなら…
- デジタル有料記事の大半が読める
- 教育や仕事に役立つ情報が充実
愛読者・フルプランなら…
- アプリも使えて、おくやみ情報もいち早く