「ウクライナ戦争で家族を失った子どもたちが自分と重なる」と語る美馬さん=徳島市八万町夷山の美馬さん宅

美馬さんの母の実家に残っていた写真。中央に立つ少年の後ろの少女が美馬さん。妹を抱っこする母(前列右から2人目)、兄(前列右から3人目)らが写る。母は弟を妊娠中だった=1944年撮影

「ウクライナ戦争で家族を失った子どもたちが自分と重なる」と語る美馬さん=徳島市八万町夷山の美馬さん宅 美馬さんの母の実家に残っていた写真。中央に立つ少年の後ろの少女が美馬さん。妹を抱っこする母(前列右から2人目)、兄(前列右から3人目)らが写る。母は弟を妊娠中だった=1944年撮影

 意識が戻り、目を開けると、おぶっていたはずの3歳の妹がずぶぬれになって岸壁に横たわっている。既に虫の息で、小さな手で地面の砂をかきむしっていた。その後の記憶は断片的だ。

 1945年7月4日未明の徳島大空襲。当時8歳だった美馬礼子さん(88)=徳島市八万町夷山=は一緒に逃げていた妹、そして母、弟を失った。「なんで死んだのか」。80年の月日が流れても、昨日のことのように思う。