自宅があった場所付近で甲府空襲の惨状を語る入倉武津子さん=甲府市宝2丁目(撮影・橘田俊也)

空襲で外壁だけ焼け残った百貨店=甲府市内(甲府市教育委員会提供)

自宅があった場所付近で甲府空襲の惨状を語る入倉武津子さん=甲府市宝2丁目(撮影・橘田俊也) 空襲で外壁だけ焼け残った百貨店=甲府市内(甲府市教育委員会提供)

 1945年7月7日未明、8歳だった入倉武津子(いりくらむつこ)さん(88)=山梨県富士川町=は母とはぐれ、燃える甲府市の街を逃げ惑っていた。「何してる、来い」と手を差し伸べた少年を焼夷(しょうい)弾が直撃した。赤い空を幾筋もの光が走る。「すいすい、流れ星みたい」。爆風を浴びて気絶した。七夕の日、甲府は内陸都市で最初の空襲の標的になった。

 目を覚ますと、炎と黒煙の中に遺体が転がり、「おばけの行進」(入倉さん)のように血だらけの人たちがさまよっていた。背中のランドセルには火の粉で無数の穴が開き、土が詰まっていた。「うずくまるように倒れたから、ランドセルが『盾』になって命は落とさずに済んだ」