1945年7月9日深夜、本郷国民学校6年だった藤井義一(ふじいよしかず)さん(91)=岐阜市本郷町=は、けたたましいサイレンに飛び起き、外に出た。約2キロ東の水道山上空に黒い機影。何かを落とすのが見えた。市街地の8割を焼失した岐阜空襲。市中心部の本郷地区(旧本郷小学校区)は被害が甚大だったエリアだ。だが、恐怖の一夜は「それから続く辛苦の入り口に過ぎなかった」。
「ヒューザザー」。米軍B29爆撃機の編隊からばらまかれた焼夷(しょうい)弾が、市中一面に降り注ぐ。尾っぽを振るように落ちてくる様子が「空中を赤くゆらゆら漂う『人だま』に見えた」。
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