昭和歌謡が成熟期を迎えた1980年代から、数々のヒット曲を世に送り出した足利市出身の作詞家売野雅勇(うりのまさお)さん(74)。時代の空気を鋭く捉え、都会的で洗練された作品は、現在も世代を超えて愛され続けている。今年、活動45周年を迎える売野さんの半生とともに、作品が生まれるまでのドラマを企画「私の生きた刻(とき)」で紹介する。
〽見つめ合う視線のレイザー・ビームで 夜空に描く 色とりどりの恋模様
この星の片隅 2億の瞳が素敵(すてき)な事件(こと)を探してるのさ
昨年の大みそか、NHK紅白歌合戦の卒業を宣言した郷(ごう)ひろみさんが最後の曲として歌ったのが「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」。日本有数のポップスの大スターの詞を書けて良かったと、感動しました。
コピーライターなどを経て作詞家になりました。「セレンディピティ」という言葉があります。何かを探している時、予想外の素晴らしいことに行き着く幸運のことです。僕は自分の勘にただ忠実に生きてきました。「これはつまらないよね、じゃあこっち」と選択して。
詞を作る時も、最初の考えがどんどん飛躍していく。自分につながる右脳のささやきに耳を傾ける感じでしょうか。「2億4千万の瞳」の詞も、何だか意味が分からないけど胸騒ぎがしませんか。曲を通じて聞き手の右脳と会話が成立したら気持ちが良い。自分にしか書けない詞だと思います。
実は僕というものを剥がしていくと、最後に羞恥心が残るのではないか。そう思うほど「恥ずかしい」という思いに敏感です。僕の両親は教師で、足利西小学校で出会い結婚しました。だから僕が西小に入学した時、両親の同僚からかわいがられてえこひいきの対象になりました。それがすごく恥ずかしかった。
羞恥心は作詞をする上でも存在しています。作詞家の礎となった中森明菜(なかもりあきな)さんの「少女A」は31歳の時の作品。この仕事が来た当初は「アイドルの曲なんて格好悪い」と思いました。でもやるからには自分じゃなきゃ作れないものにしたい。平凡、凡作と思われるのがとにかく恥ずかしい、とても困るんです。そして出来上がったのがあの曲です。
これまでに1500曲以上を手がけました。特に好きな曲を挙げるなら坂本龍一(さかもとりゅういち)さんの「美貌の青空」。坂本さんとの仕事を通じて、作詞家の大切な仕事の一つが、作曲家の無意識が雄弁に語る魂の言葉を聴き取ることと知りました。
シティーポップの先駆け的な存在の稲垣潤一(いながきじゅんいち)さんの「夏のクラクション」は詞が先に出来て、筒美京平(つつみきょうへい)先生が曲を付けました。荻野目洋子(おぎのめようこ)さんの「六本木純情派」はメロディーを聴いて「僕が歌詞を書いたらすごいことになる」と確信した曲です。
今月28日には宇都宮市の県総合文化センターでコンサートを開き、2人が出演してくれます。栃木県内の開催は初めて。自分の深い部分に結び付く、強烈なファクターがふるさとです。その地で開催できることがうれしい。
作詞家になり今年で45周年を迎えます。どんなに格好つけても、自分の中に全くないものから詞は生まれてこなかった。僕の人生をひもとけば、ヒット曲の詞につながっています。
うりの・まさお 1951年、足利市生まれ。足利高、上智大文学部英文学科卒。企業のコピーライターやファッション誌編集長を経て、81年に作詞家デビュー。中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」など80年代を中心に多数のヒット曲を生み出した。歌謡曲の全盛期を支えた一人とされている。

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