1972年の町制施行を祝って行われた記念式典(市貝町提供)

1972年の町制施行を祝って行われた記念式典(市貝町提供)

 1889(明治22)年4月1日に全国一斉に行われた町村合併で市羽村と小貝村が誕生。1954(昭和29)年の昭和の大合併で2村が合併し、1文字ずつ取り「市貝村」となった。当初は市羽村が益子地区、小貝村が芳賀地区に合併する案があったというが、2村合併で今の町域になった。

 町制施行は1972(昭和47)年1月1日。昨年50周年を迎えた。当時の人口は1万386人だった。

 5年ごとの国勢調査では、その後75(昭和50)年の1万41人が底で、95(平成7)年の1万2546人まで漸増。以降は減り続け、7月1日現在1万1287人となっている。市貝町を常にしのいでいた東隣の茂木町の人口に、現在は迫っている。

 高度成長期には若年労働人口が東京圏などに流れたことで、年間200人程度の減少が続いた。町外に職を求める動きは強かった。町北部の竹内、見上(みあげ)、塩田、羽仏などで減少幅が大きい。

 一方、一時期人口が増えたのは、町南部に赤羽工業団地ができ、72年以降、シーアイ化成や花王などの企業が進出して雇用が生まれたことが大きい。

 町の歴史に詳しい元町歴史民俗資料館館長関澤昇(せきざわのぼる)さん(86)は「自然豊かで古代の人が理想とした地。自然を生かしたまちづくりを展望したい」と話した。