絢爛(けんらん)豪華な彫刻屋台が鹿沼市の秋を彩る「秋まつり」。5年ぶりの開催となった今年は延べ20万人(主催者発表)が訪れた。
祭りの核は今宮神社例大祭の付け祭り「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」。鹿沼市史などによると、最古の記録として1780年の文書が残る。当初は雨乞いの祭事として6月に行われていたが、1948年の市制施行を機に現行の10月開催に落ち着いた。
当初は江戸から役者を呼んで踊りや歌舞伎などで町同士が盛り上がりを競い合っていた。屋台は踊りを引き立てる“脇役”で、装飾は実に素朴だった。
ところが江戸時代後半、文政・天保の改革で華美な催しが禁止され、芝居や出し物が取り締まりの対象になった。代わりに主役となったのが屋台だった。
鹿沼には日光東照宮造営のために全国から腕利きの宮大工らが集まった。その自慢の技術を駆使した彫刻で屋台を飾るようになる。宇都宮や日光などから屋台を借りていた町も少しずつ自前の屋台をそろえ始め、1996年、行事に参加する27町の屋台がそろった。
2003年、国重要無形民俗文化財に指定。16年には「山・鉾(ほこ)・屋台行事」の一つとして国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産に登録された。
注目度が高まる一方で各町が人手不足という大きな課題を抱える。鹿沼いまみや付け祭り保存会によると、町の外から若衆を集める動きが広がり、細かなしきたりにまで教育が及ばない例もある。小林幹夫(こばやしみきお)会長(69)は「祭りの総論について話し合う機会を定期的に設けていきたい」と話している。