窯変米色青瓷面取花生

翠青瓷睡蓮盤

窯変米色青瓷面取花生 翠青瓷睡蓮盤

 昨年1月、病気のため亡くなった那須町の陶芸家峯岸勢晃(みねぎしせいこう)さん(享年71)の遺作展が18~26日、益子町城内坂のギャラリー緑陶里(みどり)で開かれる。代名詞でもある「窯変米色青瓷」の作品を中心に、粉引きや三島などの初期作品も展示。「何事も突き詰めて、とことん取り組む人だった」(妻容子(ようこ)さん)という峯岸さんの美学が貫かれた約70点が並ぶ。

 「すき間を前回の3センチから2センチとしたが、これが青瓷の範囲を狭めたのではないか」。秒単位、ミリ単位の記録が写真とともにびっしり書き込まれた30冊超の大判大学ノート。会場には、20年以上にわたり窯変青瓷に取り組み、3日に1度のペースで試験焼成を繰り返した峯岸さんの研究記録も公開される。

 峯岸さんは器体にかかる青瓷釉を窯の中で酸化、還元、さらには中性部分に焼き分けるという未踏の分野に挑み続けた。渋みのある米色(黄褐色)、深い青緑色とそのあわいは、本来なら焼成中に偶然現れる釉色変化。それを釉薬(ゆうやく)の配合、炎の流れなど膨大なデータを蓄積することで、一つの器形に必然的に結び付けようとしたのである。

 朝鮮陶磁にひかれ、柔らかな質感を持つ土ものから始まった作陶は、硬質で端正な青瓷の世界へと移り、65歳で窯変米色青瓷を発表。近年、「ようやく気まぐれな炎に対応が利くようになってきた」と手応えを話していた。ほぼ独学だったという50年は、「誰もやっていないことをやりたい」と挑戦の連続。傍らで支え続けてきた容子さんは「峯岸の努力と作品を知ってもらえたら」と遺作展への思いを語っている。

 峯岸さんは1952年埼玉県生まれ。益子などで修業後、93年那須に築窯。日本伝統工芸展入選13回。