太平洋戦争末期の1945年2月、野木町内に墜落し亡くなった日本軍機のパイロット倉井利三(くらいとしぞう)少尉の碑を親子3代で受け継いでいる野木町佐川野、農業柿沼誠(かきぬままこと)さん(68)が12日、同町佐川野小で講話し、父親から聞いた体験や碑を継ぐ思い、平和の尊さを語った。
下野新聞の記事で倉井少尉や柿沼さんらの存在を知った同校が町などを通じて柿沼さんに依頼し、実現した。戦後80年の年を迎え地域の戦史継承が各地で課題となる中、講話は次世代に語り継ぐ好機となった。
「うちの畑に機体が落ちたのです」
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