夏の全国高校野球は9日、大会5日目を迎え、35年ぶり2度目の出場となる栃木県代表の青藍泰斗は第3試合(午後4時15分開始)で、6年ぶり6度目の出場の佐賀北との初戦に臨む。青藍泰斗は前身の葛生時代に出場した1990年夏の甲子園の初戦で、山陽(広島)に4-1の九回2死走者なしからまさかのサヨナラ負けを喫した。35年越しの甲子園初勝利を目指す。

 青藍泰斗の勝利を期して下野新聞デジタルは、1990年夏の甲子園の試合結果を報じた当時の下野新聞記事3本を復刻掲載する。高校野球ファンの間で今も語り継がれる一戦。甲子園の「魔物」に襲われた35年前の葛生ナインや応援団はどんな様子だったのか。悲劇に立ち会った記者は何を思ったのか。青藍泰斗に注目する皆さんにぜひ読んでもらいたい。(以下、年齢や肩書きなどは掲載当時のまま)

◇復刻記事リスト◇

 

■ああ「あと1人」 葛生 初陣の夏、まさかの涙(1990年8月14日付 下野新聞2面記事)

 【1990年甲子園】▽2回戦

葛生(栃木)

 000101020 │4

 000100004x│5

山陽(広島)

 

 3点差をつけ九回二死。スタンドのだれもが甲子園初勝利を疑わなかった。「あと一人」コールが沸き上がった数分後、山陽側のスコアボードに「4」の文字が映し出された。悪夢の逆転サヨナラ負け-。「うそだぁ」と力なく泣き崩れる女子生徒。帽子をグッと握りしめる控え選手。言葉をなくす選手の父母。勝利の女神はあまりにも非常だった。それでもスタンドの片隅から「よくやった」と選手をたたえる声が上がると、4千人の応援団は選手たちに惜しみない拍手を送った。初陣同士の力の限りの激闘だった。曇天に響くサイレンの音が、葛生高の「信じたくない」夏の終わりを告げた。

 この日、三塁側葛生高アルプススタンドは約4千人の応援団で埋め尽くされた。前日午後3時半、全校生徒を乗せたバス39台が同校を出発し、1700人の生徒が「ほとんど眠らず」にスタンド中央に陣取った。早朝4時半に佐野駅をたった電車組1千人も加わった。石沢一彦葛生町長も「栃木県で初めて町から出場したチーム。何が何でも勝ってもらう」と腕組み。人口1万4千人余の町の3分の1近くが駆け付けた“町を挙げて”の応援団に満足そう。

 試合は完全に葛生ペースで進み、七回まで1点リード。3年間、選手の体力管理に努めてきたトレーナー前田芳久同校教諭(28)は「早川は体のきれがいいようだ。最高のピッチングをしている」と中盤まで安定したピッチングを続ける早川の仕上がりの良さに目を細めた。また、スタンド最上段で約6畳の大きさの応援団旗を握りしめる落合伸行さん(普通科2年)も「手首から先がしびれているが、リードしているので平気です」。

 さらに八回表。金子選手のヒットで2点が追加されると、チアリーダーの島田文枝さん(17)は「勝ったも同然です」と笑顔を見せ、真っ赤なポンポンをさらに高く突き上げる。応援団長の大出敏成さん(16)も「いけます。勝ちます」と、さらに気合を込めた応援を続けた。

 勝利目前の九回二死ランナーなし。スタンドからは自然と「あと一人」コールが沸き上がった。「あと一人」「あと一人」。アルプススタンドの4千人は全員が勝利に半分酔った。山陽高の“最後の打者”がヒットを打つ。スタンドから「愛きょう、愛きょう」との声がつかんだのもつかの間、あっという間の1点差になる。

 「しめてけ」「どうした」。スタンドの雰囲気が一変した。永井成雄校長(57)も落ち着かない様子でたばこを口に運ぶ。