米国のテレビ局・CNNの「世界の夢の旅行先10カ所」に国内で唯一選ばれ、日本を代表する観光名所となった「あしかがフラワーパーク」=足利市迫間町。だが、その歩みは決して順風満帆ではなかった。
1920年代、大地主の故早川和俊(はやかわかずとし)さんが同市朝倉町の庭にフジを植えたのが始まり。68年には「早川農園」として開園した。周辺の再開発計画が持ち上がり、91年ごろから移転を模索することになった。
最大のネックは、幹の直径が1メートルを超える大フジの移植だった。前例はなかったが、女性初の樹木医塚本(つかもと)こなみさんが先進的な移植法を編み出し、96年に着手した。
骨折の治療で使うギプスをヒントに、幹を石こうで固定。陸送可能な大きさに詰めたフジを大型トレーラーに乗せ、約20キロの距離を移送した。地元造園業者ら延べ2千人が関わったプロジェクト。和俊さんは最初の花が咲いたのを見届け、その年に永逝した。
だが、苦難は移転後も続く。パーク整備に膨大な投資をしたが、フジの開花時季以外は開店休業状態。和俊さんの孫で現社長の早川公一郎(はやかわこういちろう)さん(42)は「最初の10年は倒産前夜が何度もあった。社員など多くの人に助けられ、存続できた」と振り返る。閑散期に始めたイルミネーションも評判を呼び、現在の地位にまで成長した。
これらの経験を踏まえ、公一郎さんは「私たちには、良い花を咲かし続け、期待に応える使命ある。プレッシャーはあるが、樹木を後世に守り伝えたい」との決意を明かした。