足尾銅山は28日で、閉山からちょうど50年。かつて銅山坑内で働いた高田広(たかだひろし)さん(89)は今も、日光市足尾地域の中心部で妻と暮らす。「あっという間だった」。仲間との写真、銅鉱石…。銅山町の繁栄、閉山後の過疎化。思い出の品々を手に取りながら、半世紀前の閉山に思いをはせた。

鉱員時代や閉山後の思い出を語る高田さん。今も妻と2人、足尾で暮らす=27日午前10時30分、日光市足尾地域
鉱員時代や閉山後の思い出を語る高田さん。今も妻と2人、足尾で暮らす=27日午前10時30分、日光市足尾地域

 「一つずつ機械を止めていってさ。これで最後って時は寂しかったな」

 高田さんは閉山後も数カ月間、「残務処理」として7~8人の仲間と坑内に入った。おおむね作業が終わった日、仲間と撮影した記念写真を前にすると、思い出話は尽きない。

 30代半ばから閉山までの約10年間、ポンプなどの修繕役としてヤマで働いた。坑口から3キロほど入った「キカンバ」と呼ばれた広い空間が仕事場。そこは鉱員たちの憩いの場でもあった。「いつもお湯を沸かしておいて、ラーメンを食わせたり。仲良くなると、坑内のいろんなところに連れてってもらった」

 同郷の妻秀子(ひでこ)さん(82)とは、閉山後も足尾に残る道を選んだ。親きょうだいの面倒を見る必要もあった。

 現在暮らすのは、高層の公営住宅。平成に入り町の中心部の整備が進み、老朽化した社宅の長屋から移った。

閉山後の坑内で撮影した仲間との写真。片付け作業の日付を示す「1973.6.15」の文字が見える=27日午前11時20分、日光市足尾町
閉山後の坑内で撮影した仲間との写真。片付け作業の日付を示す「1973.6.15」の文字が見える=27日午前11時20分、日光市足尾町

 閉山後、人が減っていく様子を目の当たりにしてきたから、「きれいな建物ができて。これで足尾も大丈夫と思ったの」。秀子さんは当時を振り返る。

 だが、その公営住宅も今は半分近くが空き部屋。止まらない過疎化。高田さんは「店でも何でも、バタバタつぶれていってな」とこぼす。

 家族に先立たれ、独り暮らしになった知人も多い。高田さん夫婦も息子2人は県外で暮らす。不安を感じずにはいられないが「みんな何とか、頑張って生きてるんじゃねぇか」。高田さんは、自らに言い聞かせるようにつぶやいた。

鉱員時代や閉山後の思い出を語る高田さん。今も妻と2人、足尾で暮らす=27日午前10時40分、日光市足尾地域
鉱員時代や閉山後の思い出を語る高田さん。今も妻と2人、足尾で暮らす=27日午前10時40分、日光市足尾地域

 閉山から半世紀。地域は寂しくなるばかりだが、足尾を離れるつもりはない。「静かでな。良い場所だよ」と屈託なく笑った。