プレス機でプリントTシャツを製作する池守さん。「足尾を盛り上げたい」と過疎の進む生まれ故郷で起業した=2月中旬、日光市足尾町松

 日光市足尾小中学校近くの商店街の一角に、英語の看板を掲げた商店がある。プリントTシャツなどを手がける「RAMBLE(ランブル)」。足尾銅山閉山の2年前、1971年生まれ、「生まれも育ちも足尾」を自負する池守祐介(いけもりゆうすけ)さん(51)が2018年に起業した。

 「田舎がなくなっちゃう。よそへ出た同級生が帰る場所がなくなっちゃう」。店を出した大きな理由だ。

 店名は父と営んだギフトショップが由来。19歳から手伝ったが20年後、事故で右膝から下を失った。転職せざるを得なくなり、日光市内の会社に入社。すると高齢の父は、店を畳んだ。

 閉店後、思いはくすぶり続けた。「足尾を少しでも盛り上げたい。そういう気持ちは一番にある」

 店内には、足尾高時代の仲間と撮った写真を飾ってある。この間は親しかった同級生の子が訪ねてきてくれた。

 「それはうれしかったですね」。起業に込めた願いは、少しずつ実を結ぼうとしている。

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 「足尾はどうなるのか。何かやらないといけない」

 閉山から間もなく20年という1990年代初め、20~30代の若者たちが危機感を抱き、一つの動きを見せたことがあった。

 その一人、鈴木聡(すずきさとし)さん(70)は「当時は危機感を共有する場や(地域おこしの)盛り上がりも、何もなかった」と振り返る。足尾の過疎化は歯止めがかからず、国内のバブル景気は陰りを見せていた。

 92年7月18日、町民センターでまちづくりイベント「あしおネイチャーライフ92」を開いた。

 討論会のテーマは「今日からの足尾を考える」。母親が足尾出身で、自身もたびたび足尾を訪れていた作家立松和平(たてまつわへい)さんを招き、地域の発展へ意見を交わした。

 栄光と悲惨さを味わった歴史を誇りにすべし-。立松さんの話に、450人ほどの老若男女が耳を傾けた。

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 若者たちはその翌年、イベントと同名の団体を立ち上げ、さらに大きな流れに加わっていく。

 渡良瀬川の上流から下流まで、市民団体が集まり96年に立ち上げた「足尾に緑を育てる会」。立松さんも2010年に亡くなるまで活動に加わり、同会の植樹活動はこれまで20万人超が参加した。

 鈴木さんは、足尾の将来を悲観していない。「足尾で、やれることはまだある。足尾全体から私たちの気持ちを継ぐ2代目、3代目が出てきてくれれば」