1973(昭和48)年に足尾銅山が閉山して半世紀。かつての銅山町を歩くと、ヤマの名残とともに、四季折々のさまざまな風景が目に留まる。閉山50年を機に、1~6月掲載したキャンペーン報道「アカガネのこえ 足尾銅山閉山50年」。取材で触れた足尾の表情を写真で伝える。
かつて足尾銅山を経営した古河機械金属(旧古河鉱業、東京都千代田区)は、日光市足尾地域(旧足尾町)を特別な場所と捉えている。複数の関係会社や鉱山関連施設が今も残り「永続的に事業を行っていく」と今後を見通している。
1875(明治8)年に創業して2年後、足尾銅山の経営を始めた。一時は国内一の産銅量を誇り、横浜ゴムや富士電機、富士通など現在につながる古河グループの礎を築いた。
日本の産業発展、近代化に貢献した。ただ、その一方で鉱毒事件を起こした。銅山の光と影。新入社員研修では必ず足尾を訪れ、伝えているという。
銅山が1973(昭和48)年に閉山し、企業城下町だった足尾は厳しい過疎化に見舞われた。観光開発、企業誘致、住環境整備。行政の対策に「できる限り協力してきた」と振り返る。
2025年、創業150周年を迎える。「今後も事業活動を行って、地域貢献についても考えていく」。足尾で建設中の足尾銅山記念館は同年、開館を予定している。






