北海道佐呂間町字栃木の地は1911(明治44)年、栃木県から入植した足尾銅山鉱毒事件の被害民らによって開拓が始まった。
渡良瀬川下流域の旧谷中村(現栃木市)が、鉱毒沈殿などを目的とした遊水地計画に巻き込まれ強制廃村に追い込まれたのはその5年前。県のあっせんで、同村を含む周辺8町村の66戸二百十数人が約千キロ北の未開の地を目指した。

たどり着いたのは、三方を山に囲まれた傾斜地。唯一開けた北側からはオホーツク海の風が吹きつけ真冬は氷点下30度を下回る極寒の地で、原生林を切り開いた。他県からの入植も続き、冷害や凶作と闘いながら酪農などに活路を見いだし生活の礎を築いていった。最初の入植者が伝えた農村歌舞伎や八木節などが住民の結束を強めたという。
離村者が続いた昭和期を経て、過疎化と高齢化が進む集落には現在、22世帯65人が暮らす。栃木県入植者の子孫の家族は4世帯が残る。もう一つの栃木-。栃木地区の「今」を写真で伝える。撮影は4月下旬。
生き証人

地元の栃木公民館で昔話に花を咲かせる入植者の子孫たち。冷害が続いた昭和期に栃木県から届いた救援物資を、他県の入植者にも平等に分配した逸話が残る。共に手を携え、100年以上にわたり厳しい環境を乗り越えた住民の絆は強い。
集落

山間の傾斜地に開かれた栃木地区は南北約5キロ、東西約2キロに集落が広がる。高台から望むと牧草地の緑の中、まばらな民家が見えた。4月下旬でも周囲の山々には雪が残り、明け方の気温は氷点下まで下がる。
野生

取材中、栃木地区を南北に貫く幹線道路付近でキタキツネに出合った。豊かな自然が残り、ウサギやシカなど野生動物が頻繁に出没する。人里まで現れることはめったにないが、ヒグマの足跡が見つかることもある。
青

栃木地区の北方約27キロにあるサロマ湖。空と湖面の鮮やかな青は、見ていると吸い込まれるよう。汽水湖で、ホタテ養殖は町の主要産業の一つとなっている。写真奥はオホーツク海。
酪農

栃木地区の主要産業は酪農。農作物が育ちにくい寒冷地で、他地区に先駆けて導入し現在、10戸が従事している。ほかに1戸が養豚を手がける。本県入植者の4代目、酪農業阿部隆文(あべたかふみ)さん(53)は乳牛約70頭を飼っている。
遷座

1913年に日光山輪王寺の末寺を遷座した日光山多聞寺。長野祐順(ながのゆうじゅん)住職(40)は本県から入植した5代目の子孫。
入り口

栃木地区の入り口にある栃木橋。1911年、栃木県からの移住者たちはここに倒れたカツラの大木を橋にして入植地へ足を踏み入れたという。
跡地

栃木小は1986年に閉校し、今は跡地に門柱だけが残る。栃木地区にある栃木神社の開拓100周年記念碑の裏に校歌が刻まれている。